第1、第2の哨戒 1944年6月 - 10月とは? わかりやすく解説

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第1、第2の哨戒 1944年6月 - 10月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/05 03:51 UTC 版)

プライス (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1944年6月 - 10月」の解説

6月3日プライス最初哨戒小笠原諸島方面向かった6月30日プライス北緯2820東経14123分 / 北緯28.333度 東経141.383度 / 28.333; 141.383の聟島北西80キロ水域で元特設砲艦百福丸(尼崎汽船986トン)を撃沈7月5日には、北緯2750東経14120分 / 北緯27.833度 東経141.333度 / 27.833; 141.333の西之島北東40キロ水域特設捕獲網艇興義丸(三光汽船、857トン)を撃沈した7月18日には輸送船団攻撃して時雨駆逐艦撃沈報じ後日50駆潜艇撃沈とされたが、同艇は7月21日空襲沈没している。7月25日プライス52日間行動終えてミッドウェー島帰投した。 8月17日プライス2回目の哨戒日本近海および南西諸島方面向かった9月7日午後遅くに、北緯2726東経12654分 / 北緯27.433度 東経126.900度 / 27.433; 126.900の地点金剛丸国際汽船、7,043トンクラス特設巡洋艦思しき艦船に対して魚雷発射し、1本の命中得た判断された。9月24日には北緯29度3分 東経12915分 / 北緯29.050度 東経129.250度 / 29.050; 129.250の地点で、扶桑型戦艦に対して6本の魚雷発射スクリュー止める効果はあったと判断された。3日後の9月27日未明プライス北緯2941東経12802分 / 北緯29.683度 東経128.033度 / 29.683; 128.033のトカラ列島宝島北西50キロ水域で、陸軍特殊船吉備津丸日本郵船、9,575トン)などが加わったヒ72船団護衛し門司向かっていた第10号海防艦撃沈輸送船に対して3本魚雷命中させたと判断された。10月7日ミッドウェー島寄港し翌日スレッシャー (USS Thresher, SS-200) と共に真珠湾回航された。10月12日プライス56日間行動終えて真珠湾帰投した。

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第1、第2の哨戒 1944年6月 - 10月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/05 21:22 UTC 版)

ピラーニャ (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1944年6月 - 10月」の解説

6月14日ピラーニャ最初哨戒ガードフィッシュ (USS Guardfish, SS-217)、スレッシャー (USS Thresher, SS-200) およびアポゴン (USS Apogon, SS-308) とウルフパック "Mickey Finns" を構成しルソン海峡方面向かった7月12日朝、ウルフパックバタン諸島近海で、南下してくるモマ01船団発見7時20分、ピラーニャ北緯1850東経12240分 / 北緯18.833度 東経122.667度 / 18.833; 122.667の地点日蘭丸(南洋海運、6,503トン)に魚雷を2本命中させて撃沈した4日後の7月16日朝、ウルフパック北緯1915分 東経12015分 / 北緯19.250度 東経120.250度 / 19.250; 120.250の地点で、高雄からマニラに向かうタマC21船団発見。9時45分ピラーニャは志あとる丸(大阪商船、6,182トン)を撃沈。これを手始めスレッシャー西寧丸(大連汽船、4,918トン)と祥山丸(興国汽船、2,838トン)を、ガードフィッシュ仁山丸(宮地汽船、5,215トン)、満泰丸(山下汽船、5,864トン)と日山丸(宮地汽船、2,838トン)をそれぞれ撃沈し、その損失フィリピン日本陸軍痛手与えた数回敵機および哨戒艇による攻撃受けたものの、ピラーニャ損傷なく切り抜けた8月8日ピラーニャ52日間行動終えてマジュロ帰投した。 8月30日ピラーニャ2回目の哨戒フィリピン近海向かったこの頃ウィリアム・ハルゼー大将率い第3艦隊ペリリュー島攻略支援でこの海域進出した日本海軍艦隊出動することを念頭に置き、ハルゼー大将フィリピンペリリューの間にピラーニャを含む10隻の潜水艦を、日本海軍採用したような二重の散開線構成して配備させた。この散開線俗にハルゼー動物園」(あるいは単に Zoo )と呼ばれた効果は全くなく、以後作戦二度と採用されることはなかった。「動物園」に参加したピラーニャ以下の潜水艦は、任務終了後ルソン海峡方面移ったピラーニャ20度線沿いに哨戒行い10月9日哨戒艇遭遇ピラーニャ激し爆雷攻撃に耐え、返り討ちにして敵艦破壊した判断された。10月23日ピラーニャ56日間行動終えて真珠湾帰投した。

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