ホークビル (潜水艦)とは? わかりやすく解説

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ホークビル (潜水艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/12 15:53 UTC 版)

USS ホークビル
基本情報
建造所 マニトワック造船
運用者 アメリカ海軍
艦種 攻撃型潜水艦 (SS)
級名 バラオ級潜水艦
艦歴
起工 1943年8月7日
進水 1944年1月9日
就役 1944年5月17日
退役 1953年4月21日
除籍 1970年6月2日
その後 1953年4月21日、オランダ海軍に貸与。1970年2月20日、売却[1]
要目
水上排水量 1,526 トン
水中排水量 2,424 トン
全長 311 ft 9 in (95 m)
水線長 307 ft (93.6 m)
最大幅 27 ft 3 in (8.31 m)
吃水 16 ft 10 in (5.1 m)
主機 フェアバンクス=モース38D 8 1/8ディーゼルエンジン×4基
電源 エリオット・モーター英語版発電機×2基
出力 水上:5,400 shp (4.0 MW)
水中:2,740 shp (2.0 MW)
最大速力 水上:20.25ノット
水中:8.75ノット
航続距離 11,000海里/10ノット時
航海日数 潜航2ノット時48時間、哨戒活動75日間
潜航深度 試験時:400 ft (120 m)
乗員 士官10名、兵員71名
兵装
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ホークビル (USS Hawkbill, SS-366) は、アメリカ海軍潜水艦バラオ級潜水艦の一隻。艦名はタイマイにちなんで命名された。タイマイの綴りは「Hawksbill」であるが、「s」は就役時に不注意で外された。

タイマイHawksbill turtle)

艦歴

ホークビルは1943年8月7日にウィスコンシン州マニトワックマニトワック造船で起工した。1944年1月9日にF・W・スキャンランド・ジュニア夫人によって命名、進水し、1944年5月17日に艦長F・ワース・スキャンランド・ジュニア少佐(アナポリス1934年組)の指揮下就役する。

五大湖での訓練期間に続いて、ホークビルは1944年6月1日にマニトワックを出航してイリノイ川を下り、最後は艀船に搭載されてミシシッピ川を運ばれた。6月10日にニューオーリンズに到着し、弾薬を補給した後6月16日に訓練のためパナマ運河地帯バルボアに向かって出航する。重要な訓練が完了すると7月28日に真珠湾に到着し、最初の哨戒に向けての最終準備に入った。

第1、第2の哨戒 1944年8月 - 1945年1月

衣笠丸(1938年)

8月23日、ホークビルは最初の哨戒でバヤ (USS Baya, SS-318)、ベクーナ (USS Becuna, SS-319) とウルフパックを構成しフィリピン海域に向かった。10月にホークビル以下のウルフパックは哨戒海域を南シナ海へ移動。10月7日、ホークビルは北緯14度37分 東経115度55分 / 北緯14.617度 東経115.917度 / 14.617; 115.917の地点で、南下してくるヒ77船団を発見。21時47分、ホークビルは魚雷を元特設水上機母艦衣笠丸大阪商船、8,407トン)に向けて発射するが、この攻撃は当たらなかった。22時24分に魚雷を再び発射し、2本が命中。数分後にバヤから発射された魚雷の命中と機銃による攻撃を受け衣笠丸は沈没[3][注釈 1]。しかし、その直後に始まった護衛の海防艦による激しい爆雷攻撃で潜航を強いられた。2日後の10月9日、ホークビルはベクーナとともに12隻から成るミ19船団を発見。ホークビルは 北緯12度43分 東経118度05分 / 北緯12.717度 東経118.083度 / 12.717; 118.083の地点で、ベクーナとともに応急タンカー徳和丸(日東汽船、1,943トン)を撃沈した[注釈 2]。10月14日に厳重に警戒されたロンボク海峡を通過。10月18日、ホークビルは53日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した[4]

駆逐艦「桃」

11月15日、ホークビルは2回目の哨戒でベクーナ、フラッシャー (USS Flasher, SS-249) とウルフパックを構成し南シナ海に向かった。12月15日夜、ホークビルはマニラ北西海域で、マニラで空襲を受け損傷し高雄に向かっていた駆逐艦に対して魚雷を6本発射。魚雷は桃の第二缶室に命中し、桃は沈没していった。その後、ホークビルは再びロンボク海峡に向かった。この時警備艇に目撃されたものの、ホークビルはスコールの中へ隠れることができた。ホークビルはその射程から外れる前に、沿岸砲台に向けて砲撃を行った。1945年1月5日、ホークビルは50日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。[5]

第3、第4の哨戒 1945年2月 - 6月

2月4日[6]、ホークビルは3回目の哨戒で南シナ海に向かった。2月14日、ホークビルは 南緯08度45分 東経108度28分 / 南緯8.750度 東経108.467度 / -8.750; 108.467ジャワ海第114号駆潜特務艇を撃沈した[7][注釈 3]。 南シナ海に向かう前に、さらに何隻かの小型艇も撃沈。2月20日朝、ホークビルは 南緯00度49分 東経106度54分 / 南緯0.817度 東経106.900度 / -0.817; 106.900の地点で、クチンからシンガポールに向かっていた輸送船団を発見。4時15分、ホークビルは大善丸(大阪商船、5,396トン)に魚雷を3本命中させて撃沈した。哨戒の残りは敵に接触することはなかった。4月6日、ホークビルは58日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。

敷設艦「初鷹」(1939年)

5月5日、ホークビルは4回目の哨戒で南シナ海およびジャワ海方面に向かった。哨戒海域へ向かう途中、ホークビルはバリ島北部のカンゲアン諸島に対して爆撃を行うB-24部隊の支援として救援配置任務に就いた。任務終了後、5月16日にイギリス領マラヤ沖の哨戒海域に到着。間もなく、海岸に沿って南に向かう敷設艦初鷹を発見。5時25分、ホークビルは初鷹に雷撃を行い2本が命中、初鷹は沈没した。その後はマラヤ沖およびタイランド湾で哨戒を行った。6月18日、ホークビルは44日間の行動を終えてスービック湾に帰投した。

第5の哨戒 1945年7月 - 8月・神風との死闘

ホークビルを撃破した駆逐艦「神風」

7月12日、ホークビルは5回目の哨戒で南シナ海およびタイランド湾方面に向かった。7月18日昼過ぎ、ホークビルは 北緯04度10分 東経106度30分 / 北緯4.167度 東経106.500度 / 4.167; 106.500[8]マレー半島テンゴール岬沖でシンガポールからハッチェンに向かう輸送船団を発見した。同じ頃、船団を護衛していた駆逐艦神風の見張り員が右舷横2,000メートルにホークビルの潜望鏡を発見。19時を回って神風が攻撃態勢に入ろうとしたその時、ホークビルは艦首発射管から魚雷を6本発射した[9]。しかし魚雷は神風の両側を通過して命中せず、しかもそのうちの1本は異常な動き方をしていた[10]。20分後、神風がホークビルを探知して距離を詰めていったので、ホークビルは神風が800メートルに近寄ってきたところで魚雷を3本発射[11]。しかし、この攻撃も失敗し、1本は神風の左舷側わずか2メートルのところをかすめ去った[10]。ホークビルは神風の至近を潜望鏡深度で通過。神風からは手の届くほどの近さであった[10]。神風が爆雷攻撃を開始すると、有効弾がありホークビルは神風から200メートル離れた場所で艦首を海上に急角度で突き出した。神風はこの機を逃さず艦尾の40ミリ連装機銃[12]をホークビルに向けて発射。スキャンランド艦長も観念して5インチ砲による浮上砲戦を決しようとしていた[13]。しかし、間もなくホークビルの艦首は海中に没して、深度33メートルの海底に沈座した。神風は水面上に浮かんできた木片や油膜からホークビルをおおむね撃沈したものと判断し、19時過ぎまで探査と爆雷攻撃を繰り返した。この間、ホークビルでは神風が上部を通過するたびに「最後の時が来た」と腹をくくっていた[14]。やがて、神風は船団を追ってこの海域を去っていった。ホークビルは7月19日になってすぐに浮上したが[15]ジャイロコンパス、温度計、減速装置が破壊され、無線装置や音響兵器も使い物にならなくなった。ホークビルは哨戒を一旦中止し、スービック湾で修理を行った。スービック湾へ向かう途中、再び神風が護衛する輸送船団と遭遇したが、今度は何事もなかった[16]。修理後に哨戒を再開したホークビルは、特別任務のためのオーストラリア陸軍士官を乗艦させていた。8月9日と10日には、ホークビルはタンベラン諸島ジュマジャ島にある2つの無線所を艦砲射撃で破壊し、タランパに部隊を上陸させて沿岸施設を破壊した[17]。その後はアナンバス諸島での偵察および南シナ海での哨戒を行った。8月19日、ホークビルは31日間の行動を終えてスービック湾に帰投した[18]

戦後、ホークビルのスキャンランド艦長は神風の春日均艦長(59期)と1953年以来[19]幾度か文通し、春日艦長を「最も熟練した駆逐艦艦長」[14]として称えた。これに対し春日艦長は「今思うと、沈めんでよかったです。何かこれでほッとした気持です」と述懐した[20]

ホークビルは第二次世界大戦の戦功で6個の従軍星章を受章した。5回全ての哨戒が成功として記録され、第1、第3、第4回哨戒での顕著な功績により海軍殊勲部隊章を受章した。

戦後・オランダ海軍で

HNLMS ゼーレーヴ
基本情報
運用者  オランダ海軍
艦歴
就役 1953年4月21日
その後 1970年11月24日、スクラップとして売却。
要目
テンプレートを表示

終戦後、ホークビルは8月30日にスービック湾を出港して9月14日に真珠湾に到着し、9月22日に出航してサンフランシスコに向かった[21]。ホークビルはメア・アイランド海軍造船所で1946年9月30日に退役し、予備役艦隊入りした。

1952年、予備役から復帰したホークビルは GUPPY IB転換が行われ、相互防衛援助計画の下1953年4月21日にオランダに貸与された。オランダ海軍ではアシカに因んでゼーレーヴ ( HNLMS Zeeleeuw, S-803) の艦名で就役した。オランダ海軍における同名の艦としては最初の艦であった。ゼーレーヴは6月11日にロッテルダムに到着し、同年夏にはNATOの演習に参加した。ゼーレーヴは1970年11月24日にスクラップとして売却された。

脚注

注釈

  1. ^ これにより、衣笠丸はホークビルとバヤの共同戦果。
  2. ^ この経緯から、徳和丸撃沈はホークビルとベクーナの共同戦果となっている。
  3. ^ 『日本海軍護衛艦艇史』では4月15日に「ホークビルの雷撃で大破、8月スラバヤで損傷のまま接収」。永石では「20-4-15 バリ島付近 潜水艦(喪失原因)」。また、アメリカ側資料ではこの時、第4号駆潜特務艇も撃沈したとしてJANAC英語版にも戦果が公認されているが、同艇は残存し、戦後に海上保安庁海上自衛隊に所属した(『日本海軍護衛艦艇史』)。

出典

  1. ^ Friedman, Norman (1995). U.S. Submarines Through 1945: An Illustrated Design History. Annapolis, Maryland: United States Naval Institute. pp. 285–304. ISBN 1-55750-263-3 
  2. ^ 「SS-366, USS HAWKBILL」p.12,60
  3. ^ 「SS-366, USS HAWKBILL」p.19-20,38-39、「SS-318, USS BAYA」 p.20,31
  4. ^ 「SS-366, USS HAWKBILL」p.25
  5. ^ 「SS-366, USS HAWKBILL」p.72
  6. ^ 「SS-366, USS HAWKBILL」p.97,98
  7. ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II、伊達。
  8. ^ 『駆逐艦神風』133ページ
  9. ^ 「SS-366, USS HAWKBILL」p.190、『駆逐艦神風』60ページ
  10. ^ a b c 『戦史叢書46』481ページ
  11. ^ 「SS-366, USS HAWKBILL」p.191、『駆逐艦神風』61ページ
  12. ^ 『戦史叢書46』481ページ
  13. ^ 『駆逐艦神風』61ページ
  14. ^ a b 『駆逐艦神風』62ページ
  15. ^ 「SS-366, USS HAWKBILL」p.176、『駆逐艦神風』62ページ
  16. ^ 「SS-366, USS HAWKBILL」p.177,188
  17. ^ 「SS-366, USS HAWKBILL」p.193,194
  18. ^ 「SS-366, USS HAWKBILL」p.186
  19. ^ 『駆逐艦神風』60ページ
  20. ^ 『駆逐艦神風』59ページ
  21. ^ 「SS-366, USS HAWKBILL」p.10

参考文献

  • SS-366, USS HAWKBILL(issuuベータ版)
  • SS-318, USS BAYA(issuuベータ版)
  • Theodore Roscoe "United States Submarine Operetions in World War II" Naval Institute press、ISBN 0-87021-731-3
  • 財団法人海上労働協会編『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、1962年/2007年、ISBN 978-4-425-30336-6
  • Clay Blair,Jr. "Silent Victory The U.S.Submarine War Against Japan" Lippincott、1975年、ISBN 0-397-00753-1
  • 防衛研究所戦史室編『戦史叢書46 海上護衛戦』朝雲新聞社、1971年
  • 駆逐艦神風編集委員会『駆逐艦神風』駆逐艦神風出版委員会、1980年
  • 駒宮真七郎『続・船舶砲兵』出版協同社、1981年
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
  • 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年、ISBN 4-87970-047-9
  • 木俣滋郎『敵潜水艦攻撃』朝日ソノラマ、1989年、ISBN 4-257-17218-5
  • 伊達久「第二次大戦 日本海軍作戦年誌」『写真 日本の軍艦14 小艦艇II』光人社、1990年、ISBN 4-7698-0464-4
  • 世界の艦船 増刊第45集 日本海軍護衛艦艇史 世界の艦船 1996年2月号増刊』海人社、1996年
  • 野間恒『商船が語る太平洋戦争 商船三井戦時船史』私家版、2004年
  • 永石正孝/正岡勝直「大東亜戦争参加艦船表(永石表)」『戦前船舶資料集 第112号』戦前船舶研究会、2006年

関連項目

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