桃_(松型駆逐艦)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 桃_(松型駆逐艦)の意味・解説 

桃 (松型駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/02 09:27 UTC 版)

基本情報
運用者  大日本帝国海軍
艦種 駆逐艦(一等駆逐艦)
級名 松型
艦歴
発注 1942年戦時建造補充(改⑤)追加計画
起工 1943年11月5日[1]
進水 1944年3月25日[1]
竣工 1944年6月10日[1]
最期 1944年12月15日、マニラ北西沖にて戦没
除籍 1945年2月10日
要目
基準排水量 1,262 トン
公試排水量 1,530 トン
全長 100.00 m
最大幅 9.35m
吃水 3.30m
ボイラー ロ号艦本式缶×2基
主機 オールギアードタービン2基2軸
出力 19,000 馬力
推進器 スクリュープロペラ×2軸
速力 27.8 ノット
燃料 重油:370t
航続距離 3,500海里/18ノット
乗員 211名 / 250名[2]
兵装
レーダー 二号二型(対水上用)
一号三型(対空用)
ソナー
テンプレートを表示

(もも)は、大日本帝国海軍駆逐艦[3]松型駆逐艦(丁型)の4番艦である[4]。日本海軍の艦名としては桃型駆逐艦[5]の1番艦「[6]に続いて2代目。

舞鶴海軍工廠で建造され1944年(昭和19年)6月10日に竣工[1]、訓練部隊の第十一水雷戦隊に編入された[7]。 7月15日、新編の第43駆逐隊に所属[8]。8月20日以降、新編の第三十一戦隊に所属した[9]。11月上旬、第三十一戦隊は航空戦艦2隻(日向伊勢)を護衛して内地を出発[10]新南群島で別れたあとマニラに向かうが[11]旗艦の相次ぐ被雷に遭遇した[注 1]。 マニラ進出後は12月7日の第八次多号作戦に参加、小破した[14]。 12月14日のマニラ空襲で損傷し、台湾に向け避退中の12月15日[15]、アメリカ潜水艦「ホークビル」の攻撃で撃沈された[16]

艦歴

建造経緯

1942年戦時建造補充(改⑤)追加計画丁型(一等)駆逐艦第5484号艦として[17]舞鶴海軍工廠で建造[18][注 2]1943年(昭和18年)11月5日、起工[20]

1944年(昭和19年)1月25日、『』と命名される[3]。同日付で駆逐艦3隻(竹、梅、桃)は松型駆逐艦に類別された[4]3月25日、舞鶴海軍工廠でネームシップの「[21]や駆逐艦「冬月[22]の艤装が急がれる中[23]、「桃」は進水する[24][注 3]。 「桃」は同日付で舞鶴鎮守府籍となった[29]。 4月25日、日本海軍は駆逐艦「刈萱」艦長[30][31]等を歴任した益満行孝少佐を艤装員長に任命する[32]。 5月1日、舞鶴海軍工廠に艤装員事務所を設置した[33]6月10日[34]、「桃」は竣工し[35][注 4]、艤装員事務所は撤去される[37]。益満艤装員長も制式に初代艦長となった[38]

竣工後

竣工と共に、「桃」は訓練部隊の第十一水雷戦隊に編入される[39][注 5]。 残工事を終えて6月16日に舞鶴を出発、瀬戸内海へ移動する[41][43]。翌17日以降、内海西部にあって[41][42]、工事や修理をおこなう[44][45]

7月15日付で、秋月型駆逐艦2隻(霜月冬月)により第41駆逐隊が、松型駆逐艦4隻(、松、)により第43駆逐隊(駆逐隊司令菅間良吉中佐)[46]が、それぞれ編制される[8]。第43駆逐隊は第十一水雷戦隊に編入された[47]。7月29日、5隻(長良、冬月、桃、梅、竹)で訓練をおこなう[48]。 翌7月30日から8月3日まで、十一水戦旗艦は戦艦「扶桑」になった[49][注 6]

8月3日、呉海軍工廠で駆逐艦「涼月」の修理が終わる[55][注 7]。 8月上旬から中旬にかけて、「桃」をふくむ十一水戦(旗艦「桑」)は「涼月」と訓練をおこなった[57][58]。 8月14日夜、第四航空戦隊(司令官松田千秋少将)の航空戦艦2隻(伊勢日向)が夜間射撃訓練をおこない[59]、「桃」は標的の曳的艦になった[60]

第三十一戦隊

8月20日[61]、第43駆逐隊は新編された第三十一戦隊(司令官江戸兵太郎少将[62]、旗艦「五十鈴」)に編入された[9][注 8]。編入後も僚艦と共に瀬戸内海で訓練を続行する[64]。 9月10日、「梅」艦長・益満少佐は呉鎮守府付となり、皆川芳雄少佐が艦長に補職される[65] 10月25日には松型4隻(桃、)で、台湾第二航空艦隊むけ輸送作戦を行う空母海鷹」と「龍鳳」を護衛して佐世保を出撃し[66]、10月27日に基隆に到着[67]。輸送任務を終えた後は10月30日に基隆を出港して佐世保を経由し、11月2日にに帰投した[68]

第三十一戦隊は旗艦軽巡洋艦五十鈴」と[10]、護衛部隊(秋月型駆逐艦〈霜月[69]、松型駆逐艦〈 〉)という編成で、南方に進出する第四航空戦隊航空戦艦2隻(日向伊勢)を護衛する[70][71][注 9]。南方輸送部隊「H部隊」は11月9日に五島列島有川湾を出撃し、馬公経由で14日に南沙諸島(新南群島)に到着した[73][74]

11月17日、同地で四航戦と護衛艦艇(霜月、梅、桐)と別れ、第三十一戦隊はマニラに進出した[75]。マニラ進出後の11月19日、第三十一戦隊旗艦「五十鈴」がマニラ沖合で[76]、アメリカ潜水艦「ヘイク (USS Hake, SS-256) 」の雷撃を受ける[12]。被雷により艦尾と舵を失った「五十鈴」は昭南、次いでスラバヤに下がって修理が行われる事となり[77]、「桃」は「五十鈴」を護衛して昭南に向かった[78][注 10]

シンガポール到着後、第三十一戦隊旗艦は「五十鈴」から駆逐艦「霜月[80](第41駆逐隊司令駆逐艦)に変更された[81]。 11月24日、「霜月」と「桃」は昭南を出撃、ボルネオ島ブルネイ湾に向かう[81]。 直後の11月25日未明[82]、アメリカ潜水艦「カヴァラ (USS Cavalla, SS-244) 」[83]の雷撃で「霜月」は沈没した[84]。江戸少将(戦死により海軍中将へ昇進)[85]以下第三十一戦隊司令部全員と第41駆逐隊司令脇田喜一郎大佐[86]、さらに「霜月」艦長を含む乗員の大半が戦死した[13]ソナーと聴音機で捜索するも、「カヴァラ」は浮上してレーダーを使用して雷撃していたため探知できなかった[87]。「桃」は46名の生存者[88]を救助の後マニラに再進出し、レイテ島行きの多号作戦に参加する事となる。江戸少将の戦死により[89]、「扶桑」艦長[90][91]等を歴任した鶴岡信道少将[92]が第三十一戦隊司令官に任命された[9]

「桃」が「五十鈴」を護衛していた時期に、第三十一戦隊は第五艦隊に編入されていた[93]ルソン島マニラ進出後の「桃」は[75]、マニラからレイテ島西岸オルモックへの陸軍兵力輸送作戦「多号作戦」に参加する[94][95]12月5日午前10時30分[96]、第八次多号作戦輸送部隊[97](駆逐艦3隻〈梅、桃、杉〉、第11号輸送艦、第18号駆潜艇、第38号駆潜艇、輸送船4隻〈赤城山丸、白馬丸、第五真盛丸、日祥丸〉)と[98]SS艇3隻(6号、7号、9号)はマニラを出撃した[99]。輸送部隊は第43駆逐隊司令が指揮をとり[99]第68旅団(旅団長栗栖猛夫陸軍少将、主力4,000名)など、合計約6900名が各艦に分乗した[100][101]

上陸予定日の12月7日早朝、日本陸軍航空部隊がオルモック南方に大規模船団を発見、上級司令部は判別に迷ったが、やがて敵輸送船団と判明した[102]。日本陸海軍航空部隊は、多号作戦部隊の護衛と、敵上陸船団攻撃の両方を行う羽目になった[103]。アメリカ軍第77師団のオルモック南方上陸でレイテ島地上戦の状況が一変し[104]、菅間大佐(第43駆逐隊司令。「梅」座乗)はオルモック湾への接近を断念し、揚陸地をレイテ島西岸北方のサン・イシドロ英語版に変更した[105][106]。 同日午前9時、第八次輸送部隊はサン・イシドロに到着して揚陸を開始した[107]。のべ25機の日本海軍戦闘機が船団の上空直掩を実施した[108]。同地には接岸施設がなく、兵員の揚陸は成功したが重火器の揚陸は出来なかった[109]。また揚陸中にタクロバンからの陸軍機と海兵隊機の爆撃を受け、多数の死傷者を出した[105]。船団も「(しろうま)丸」(日本郵船、2,857トン)[注 11]が撃沈され[105]、残りの輸送船も海岸に擱座して壊滅した[110]。重装備を失ってレイテ島に上陸した第六十八旅団は、その後の地上戦で「消滅」した[111]。マニラへの帰投中、空襲を受け僚艦「杉」が損傷した[112]。「桃」もマスバテ島の暗礁に触れたものの[113]、離礁してマニラに帰投できた[14]

沈没

12月14日第38任務部隊ジョン・S・マケイン・シニア中将)の艦上機がマニラを襲撃した[114]。4度の攻撃を受けて5機を撃墜したと判断されたが、「桃」は2発の直撃弾と多数の至近弾により第二缶室と前部機械室、通信装置、水測兵器が使用不能となって最大速力は14ノットに落ちた[115]。一時は火災が発生して誘爆を防ぐため魚雷は投棄され、戦死者30名と負傷者102名を出した[115]。蒸化器も破損して真水にも事欠く有様となった[116]。これにより、空襲から避退して修理を受けるため馬公に向けて脱出することとなった[117]。マニラにいた松型3隻()はカムラン湾に向かう[118]。「桃」と「」は同時に出港したが、「梅」は海南島経由で香港へ向かうことになった[119]

12月15日、「桃」はスービック湾内で第38任務部隊艦載機の空襲で沈没した輸送船「鴨緑丸」(大阪商船、7,362トン)[112][注 12]の処理を済ませた後、「第60号駆潜艇」を伴ってマニラを出港する[116]。夜に入りマニラの北西210海里の地点で[15]、「桃」はアメリカ潜水艦「ホークビル (USS Hawkbill, SS-366) 」[83]の襲撃をうける。「ホークビル」はレーダーで2つの目標を探知し、19時27分に2つの目標に対して魚雷を3本ずつ発射[120]、うち4つの命中音が聞こえた[120]。魚雷は「桃」の第二缶室に命中し、機械室が使用不能となり「桃」は沈没した[121]。桃の艦長・皆川芳雄少佐[122][123]以下多数が戦死した[注 13]

1945年(昭和20年)2月10日、「桃」と「桑」は松型駆逐艦[125]、帝国駆逐艦籍[126]より除籍された。「桃」は第43駆逐隊から、「桑」は第52駆逐隊から除かれた[127]

歴代艦長

※『艦長たちの軍艦史』362頁による。

艤装員長

  1. 益満行孝 少佐:1944年4月25日[32] - 1944年6月10日[38]

駆逐艦長

  1. 益満行孝 少佐:1944年6月10日[38] - 1944年9月10日[65]
  2. 皆川芳雄 少佐:1944年9月10日[65] - 12月15日戦死(同日付で海軍中佐)[123]

フィクション

映画「深く静かに潜航せよ」(監督:ロバート・ワイズ、主演:クラーク・ゲーブル)では、タンカーの護衛をしていた駆逐艦モモが、主人公率いる潜水艦ナーカに撃沈される。

脚注

  1. ^ 11月19日、マニラ沖合で旗艦の軽巡洋艦「五十鈴」が潜水艦の雷撃で大破、同艦を「桃」が護衛してシンガポールに送り届けた[12]。11月25日、今度は新旗艦「霜月」が潜水艦に撃沈されて第三十一戦隊司令官が戦死、「桃」は生存者46名を救助した[13]
  2. ^ 舞鶴工廠は松型計10隻(松、桃、槇、榧、椿、楡、椎、榎、雄竹、初梅)を建造した(他に未完成艦9隻)[19]
  3. ^ 当時の舞鶴工廠では、秋月型12番艦「花月[25]、松型8番艦「[26]、同型11番艦「[27]の建造も始まっている[23][28]
  4. ^ 姉妹艦「槇」の進水と同日付の竣工であった[36]
  5. ^ 第十一水雷戦隊司令官は高間完海軍少将[40]。当時の十一水戦旗艦は軽巡洋艦「長良」だが、サイパン逆上陸作戦や小笠原諸島輸送作戦のため横須賀所在[41]。7月中旬以降は沖縄方面輸送作戦に従事する[42]
  6. ^ 8月3日、十一水戦旗艦は「扶桑」から駆逐艦「」になった[50]。「長良」が8月7日に潜水艦に撃沈されたので[51]、十一水戦司令官は8月末に「多摩」が編入されるまで[52][53]、「桑」に将旗を掲げ続けた[54]
  7. ^ 「涼月」は1944年(昭和19年)1月16日に潜水艦「スタージョン」の雷撃で大破、呉工廠で大修理をおこなっていた[56]
  8. ^ 「五十鈴」は横須賀海軍工廠で整備改造工事中のため、当分の間、出撃できなかった[63]
  9. ^ 涼月」は浸水事故のため不参加[72]
  10. ^ 『戦史叢書93巻』74ページでは「梅」が「五十鈴」の護衛、「桃、桐」が第一遊撃部隊(大和、長門、金剛)護衛となっているが[75]、第一遊撃部隊護衛は「梅」と「桐」である[79]
  11. ^ 読みは「はくばまる」ではない(『日本郵船戦時船史 下』65ページ)
  12. ^ 所謂ヘルシップ(地獄船)の一隻。
  13. ^ 岸見優美『地獄のレイテ輸送作戦』(2010)112頁では「桃乗組員は総員戦死」とする[124]

出典

  1. ^ a b c d 舞廠造機部 2014, pp. 448a-449舞廠建造艦艇一覧、桃(5484)
  2. ^ #S1906十一水戦日誌(3), p.7
  3. ^ a b #達昭和19年1月(2) pp.31-33
  4. ^ a b #内令昭和19年1月(5) pp.17-18
  5. ^ 日本駆逐艦物語 1993, pp. 77–78初期の二等駆逐艦〈 桃型 〉
  6. ^ 日本駆逐艦物語 1993, p. 294日本海軍駆逐艦艦名一覧/二等駆逐艦/桃(I)Momo
  7. ^ #S1906十一水戦日誌(1) p.14
  8. ^ a b #内令昭和19年7月 p.21
  9. ^ a b c 戦史叢書46 1971, pp. 330–332第三十一戦隊の編成
  10. ^ a b 戦史叢書93 1976, pp. 73–74南西方面艦隊、駆逐艦の不足を訴う
  11. ^ 日向、追憶 1977, p. 92.
  12. ^ a b 戦史叢書54 1972, pp. 454a-455水上兵力の漸減
  13. ^ a b 激闘駆逐艦隊 1987, pp. 134–135霜月の最期
  14. ^ a b #S1912経過(護衛対潜) pp.4-5(昭和19年12月7日~8日、第八次多号作戦概要)
  15. ^ a b #S1912経過(護衛対潜) p.8(昭和19年12月)
  16. ^ 戦史叢書46 1971, pp. 446a-447米潜水艦に撃沈されたわが駆逐艦一覧表
  17. ^ 日本駆逐艦物語 1993, p. 291日本海軍駆逐艦艦名一覧/一等駆逐艦/桃(II)Momo
  18. ^ #S1811舞鎮日誌(2) p.5
  19. ^ 舞廠造機部 2014, pp. 291–293帝国海軍駆逐艦・水雷艇建造小史(18)戦時急造艦―松型と同改(丁型)
  20. ^ #S1811舞鎮日誌(1) pp.7-8、#S1811舞鎮日誌(1) p.8
  21. ^ 舞廠造機部 2014, pp. 448b-449舞廠建造艦艇一覧、松(5481)
  22. ^ 舞廠造機部 2014, pp. 446a-447舞廠建造艦艇一覧、冬月(361)
  23. ^ a b #S1903舞鎮日誌 p.8
  24. ^ #S1903舞鎮日誌 p.48〔 二十五(天候略)工廠工事 驅逐艦桃進水 〕
  25. ^ 舞廠造機部 2014, pp. 446b-447舞廠建造艦艇一覧、花月(366)
  26. ^ 舞廠造機部 2014, pp. 448c-449舞廠建造艦艇一覧、槇(5488)
  27. ^ 舞廠造機部 2014, pp. 448d-449舞廠建造艦艇一覧、榧(5492)
  28. ^ #S1904舞鎮日誌 p.8
  29. ^ #内令昭和19年3月(2) p.36
  30. ^ 昭和17年10月13日(発令10月13日)海軍辞令公報(部内限)第963号 p.14」 アジア歴史資料センター Ref.C13072087300 
  31. ^ 昭和19年3月1日(発令3月1日)海軍辞令公報(部内限)第1351号 p.33」 アジア歴史資料センター Ref.C13072096300 
  32. ^ a b 昭和19年4月25日(発令4月25日付)海軍辞令公報(部内限)第1440号 p.45」 アジア歴史資料センター Ref.C13072097400 
  33. ^ 昭和19年5月9日(火)海軍公報(部内限)第4684号 p.4」 アジア歴史資料センター Ref.C12070477100 
  34. ^ #S1906舞鎮日誌 p.20
  35. ^ #S1906舞鎮日誌 p.44〔 十(天候略)其ノ他 五四八八號艦進水式驅逐艦桃引渡 〕
  36. ^ #S1906舞鎮日誌 p.8
  37. ^ 昭和19年6月21日(水)海軍公報(部内限)第4719号 p.9」 アジア歴史資料センター Ref.C12070479400 
  38. ^ a b c 昭和19年6月13日(発令6月10日付)海軍辞令公報(部内限)第1513号 p.34」 アジア歴史資料センター Ref.C13072099500 
  39. ^ #S1906十一水戦日誌(1) p.40(昭和19年6月10日)
  40. ^ #S1906十一水戦日誌(1) pp.8-9
  41. ^ a b c #S1906十一水戦日誌(1) p.6
  42. ^ a b #S1906十一水戦日誌(2) p.5
  43. ^ #S1906十一水戦日誌(1) p.16(桃内海西部回航関連)
  44. ^ #S1906十一水戦日誌(1) pp.42-43
  45. ^ #S1906十一水戦日誌(2) pp.29,40(桃残工事関連)
  46. ^ 昭和19年7月21日(発令7月15日付)海軍辞令公報(部内限)第1541号 p.7」 アジア歴史資料センター Ref.C13072100100 
  47. ^ #S1906十一水戦日誌(2) p.63(昭和19年7月15日)
  48. ^ #S1906十一水戦日誌(2), p. 66 (昭和19年7月29日)
  49. ^ #S1906十一水戦日誌(2), p. 66 (昭和19年7月30日)
  50. ^ #S1906十一水戦日誌(3) p.8、同部隊戦時日誌 p.11
  51. ^ 軽巡二十五隻 2014, pp. 326–327長良(ながら)
  52. ^ 軽巡二十五隻 2014, p. 322多摩(たま)
  53. ^ #S1906十一水戦日誌(3), p. 33
  54. ^ #S1906十一水戦日誌(3) pp. 3-4 (昭和19年8月、十一水戦軍隊区分)
  55. ^ 歴群23、秋月型 1999, pp. 159–160「涼月」(秋月型、2701トン)
  56. ^ 日本駆逐艦物語 1993, pp. 233–235地獄から蘇生した歴戦艦
  57. ^ #S1906十一水戦日誌(3) p.12
  58. ^ #S1906十一水戦日誌(3) pp.35-39(昭和19年8月経過概要)
  59. ^ 日向、追憶 1977, p. 90.
  60. ^ #S1906十一水戦日誌(3), p. 23
  61. ^ #S1906十一水戦日誌(3) p.39(昭和19年8月)(20日)〔 43dg 31Sニ編入 〕
  62. ^ 昭和19年8月22日(発令8月20日付)海軍辞令公報(部内限)第1571号 p.40」 アジア歴史資料センター Ref.C13072100600 
  63. ^ #S1906十一水戦日誌(3), p. 23
  64. ^ 秋月型(光人社) & 2015), pp. 308–309.
  65. ^ a b c 昭和19年9月13日(発令9月10日付)海軍辞令公報(部内限)第1593号 p.30」 アジア歴史資料センター Ref.C13072100900 
  66. ^ 日本空母戦史 1977, pp. 720–722海鷹・竜鳳
  67. ^ #S1906十一水戦日誌 (4), pp.5,31,41
  68. ^ #S1906十一水戦日誌 (4), pp.33,42,51,52
  69. ^ #S1907十戦隊日誌(3) p.35
  70. ^ #S1906十一水戦日誌 (4), p.53
  71. ^ #S1907十戦隊日誌(3) p.42
  72. ^ 激闘駆逐艦隊 1987, pp. 132–134凉月の突貫工事間に合わず
  73. ^ 野村, p. 9.
  74. ^ 秋月型(光人社) & 2015), pp. 309–310僚艦沈没の非報しきり
  75. ^ a b c 戦史叢書93 1976, p. 74.
  76. ^ 昭和19.1~昭和20.2大東亜戦争経過概要(護衛対潜関係)其の2(防衛省防衛研究所)/昭和19年11月」 アジア歴史資料センター Ref.C16120660200 p.7(昭和19年11月)
  77. ^ 軽巡二十五隻 2014, pp. 278–280狭水道で舵なし操艦の妙
  78. ^ 日本水雷戦史 1986, p. 586.
  79. ^ 佐藤、艦長続篇 1995, pp. 249–251粛然とした「桑」の沈没
  80. ^ 戦史叢書54 1972, pp. 454b-455.
  81. ^ a b #S1911二水戦日誌(1) pp.9-10
  82. ^ 昭和19.1~昭和20.2大東亜戦争経過概要(護衛対潜関係)其の2(防衛省防衛研究所)/昭和19年11月」 アジア歴史資料センター Ref.C16120660200 p.9
  83. ^ a b 戦史叢書46 1971, pp. 446b-447.
  84. ^ #S1911二水戦日誌(1) p.8
  85. ^ 昭和20年2月17日(発令11月25日付)海軍辞令公報(甲)第1724号 p.48」 アジア歴史資料センター Ref.C13072103400 
  86. ^ 歴群23、秋月型 1999, p. 175表1 防空駆逐隊の司令と艦長
  87. ^ 「SS-244, USS CAVALLA」p.173
  88. ^ 日本水雷戦史 1986, p. 587.
  89. ^ 海軍中将江戸兵太郎叙位の件 p.4」 アジア歴史資料センター Ref.A12090744000 
  90. ^ 昭和18年6月2日(発令5月31日付)海軍辞令公報(部内限)第1134号 p.23」 アジア歴史資料センター Ref.C13072091400 
  91. ^ 昭和19年2月23日(発令2月23日)海軍辞令公報(部内限)第1337号 p.48」 アジア歴史資料センター Ref.C13072095900 
  92. ^ 昭和19年12月6日(発令12月1日付)海軍辞令公報(甲)第1661号 p.1」 アジア歴史資料センター Ref.C13072102200 
  93. ^ 戦史叢書93 1976, pp. 67–69第一水雷戦隊の解隊と第三十一戦隊の第五艦隊編入
  94. ^ 戦史叢書54 1972, pp. 448–449増援兵力の輸送
  95. ^ 秋月型(潮書房) 2015, pp. 311–312リスクの大きい輸送作戦
  96. ^ 日本水雷戦史 1986, p. 569.
  97. ^ 佐藤、艦長続篇 1995, pp. 174–175.
  98. ^ 戦史叢書56 1972, p. 563a第八次多号作戦
  99. ^ a b 岸見勇美 2010, p. 101.
  100. ^ 岸見勇美 2010, pp. 26–27多号作戦(昭和19年マニラよりレイテ島に対する輸送作戦)の経過概要
  101. ^ 戦史叢書41 1971, pp. 514–515多号第七、第八次
  102. ^ 戦史叢書48 1971, p. 472-474アルヴェラ付近連合軍上陸船団の発見
  103. ^ 戦史叢書48 1971, p. 474第四航空軍のオルモック方面攻撃部署
  104. ^ 戦史叢書93 1976, p. 80a米軍のオルモック上陸
  105. ^ a b c 戦史叢書56 1972, p. 563b.
  106. ^ 戦史叢書48 1971, pp. 475–478オルモック方面艦船攻撃の続行と第二挺進団の増援
  107. ^ 岸見勇美 2010, p. 103.
  108. ^ 戦史叢書56 1972, p. 568.
  109. ^ 戦史叢書93 1976, pp. 80b-81第八次多号作戦
  110. ^ #S1910-12経過概要 p.14
  111. ^ 岸見勇美 2010, pp. 229–234消えた精鋭第六十八旅団
  112. ^ a b 岸見勇美 2010, pp. 109–112.
  113. ^ 雨倉, 99ページ
  114. ^ 戦史叢書56 1972, p. 573a連合軍の比島空襲、激化す
  115. ^ a b #第五艦隊 (2), p.35
  116. ^ a b #第五艦隊 (2), pp.35,36
  117. ^ #第五艦隊 (2), pp.33
  118. ^ 日本水雷戦史 1986, p. 571.
  119. ^ 秋月型(光人社) 2015, pp. 314a-315難をのがれ香港で修理
  120. ^ a b 「SS-366, USS HAWKBILL」p.66
  121. ^ 日本水雷戦史 1986, p. 589.
  122. ^ 雨倉 2003, p. 95.
  123. ^ a b 昭和20年10月11日(発令昭和19年12月15日付)海軍辞令公報(甲)第1949号 p.22」 アジア歴史資料センター Ref.C13072107900 
  124. ^ 岸見勇美 2010, p. 112.
  125. ^ #秘公報昭和20年2月(2) p.20
  126. ^ #秘公報昭和20年2月(2) p.21
  127. ^ #秘公報昭和20年2月(2) pp.20-21

参考文献

  • 倉橋友二郎『激闘駆逐艦隊』朝日ソノラマ〈文庫版航空戦史シリーズ 95〉、1987年12月。ISBN 978-4257170952 
  • 財団法人海上労働協会編『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、1962年/2007年、ISBN 978-4-425-30336-6
  • 佐藤和正『艦長たちの太平洋戦争 続篇』光人社〈光人社NF文庫〉、1995年12月。ISBN 4-7698-2106-9 
    • 「幸運と不運」<駆逐艦「竹」艦長・宇那木勁少佐の証言>
    • 「縁の下の役割」<駆逐艦「梅」艦長・大西快治少佐の証言>
    • 「勝敗の分岐点」<駆逐艦「」艦長・川畑誠少佐の証言>
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
  • 野間恒『商船が語る太平洋戦争 商船三井戦時船史』私家版、2004年
  • 原為一ほか『軽巡二十五隻』潮書房光人社、2014年12月。ISBN 978-4-7698-1580-8 
    • 芝山末男「防空巡洋艦五十鈴エンガノ岬沖の血戦」、263-280頁
  • 日向会事務局『軍艦日向栄光の追憶』日向会事務局、1977年7月。 
  • 福井静夫 著、阿部安雄・戸高一成 編『日本駆逐艦物語』光人社〈福井静夫著作集 軍艦七十五年回想記 5〉、1993年1月。ISBN 4-7698-0611-6 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 捷号陸軍作戦(1) レイテ決戦』 第41巻、朝雲新聞社、1970年12月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海上護衛戦』 第46巻、朝雲新聞社、1971年5月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 比島捷号陸軍航空作戦』 第48巻、朝雲新聞社、1971年8月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 南西方面海軍作戦 第二段作戦以降』 第54巻、朝雲新聞社、1972年3月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海軍捷号作戦<2> フィリピン沖海戦』 第56巻、朝雲新聞社、1972年6月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 本土方面海軍作戦』 第85巻、朝雲新聞社、1975年6月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 大本營海軍部・聯合艦隊<7> ―戦争最終期―』 第93巻、朝雲新聞社、1976年3月。 
  • 雑誌『丸』編集部 編『ハンディ判日本海軍艦艇写真集18 駆逐艦秋月型・松型・橘型・睦月型・神風型・峯風型』光人社、1997年11月。ISBN 4-7698-0819-4 
  • 山本平弥 ほか『秋月型駆逐艦(付・夕雲型・島風・丁型)』潮書房光人社、2015年3月。ISBN 978-4-7698-1584-6 
    • 市川國雄「香り浅き『梅』バシー海峡に消えたり」
    • 遠山光一「マスプロ防空駆逐艦 "松型" の誕生と背景」
    • 伊達久「丁型駆逐艦船団護衛ダイアリィ」
  • 歴史群像編集部 編『秋月型駆逐艦』学習研究社〈歴史群像 太平洋戦史シリーズ 23〉、199-10。ISBN 4-05-602063-9 
    • (173-181頁)雨倉孝之「太平洋戦争の群像「秋月型駆逐艦」の戦士たち」
  • 歴史群像編集部 編『松型駆逐艦』学習研究社〈歴史群像 太平洋戦史シリーズ 43〉、2003年11月。ISBN 4-05-603251-3 
    • 雨倉孝之「松型駆逐艦長の奮戦記」。 
    • 田村俊夫「『竹』の兵装増備状況」。 
  • アジア歴史資料センター(公式)
    • 『昭和19年1月~6月達/1月(2)』。Ref.C12070124100。 
    • 『自昭和19年1月 至昭和19年7月内令/昭和19年1月(5)』。Ref.C12070194200。 
    • 『自昭和19年1月 至昭和19年7月内令/昭和19年3月(2)』。Ref.C12070194800。 
    • 『自昭和20年1月.至昭和20年8月秘海軍公報/2月(2)』。Ref.C12070503900。 
    • 『昭和18年11月1日~昭和18年11月30日 舞鶴鎮守府戦時日誌(1)』。Ref.C08030359300。 
    • 『昭和18年11月1日~昭和18年11月30日 舞鶴鎮守府戦時日誌(2)』。Ref.C08030359400。 
    • 『昭和19年1月1日~昭和19年1月31日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。Ref.C08030359900。 
    • 『昭和19年2月1日~昭和19年2月29日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。Ref.C08030356000。 
    • 『昭和19年3月1日~昭和19年3月31日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。Ref.C08030357500。 
    • 『昭和19年4月1日~昭和19年4月30日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。Ref.C08030357600。 
    • 『昭和19年5月1日~昭和19年5月31日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。Ref.C08030357700。 
    • 『昭和19年5月1日~昭和20年3月1日 第4航空戦隊戦時日誌抜粋(旗艦日向行動等)』Ref. C08030742100
      • 野村留吉「第四航空戦隊 戦時日誌抜粋」。 
    • 『昭和19年6月1日~昭和19年6月30日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。Ref.C08030357800。 
    • 『昭和19年7月1日~昭和19年11月15日 第10戦隊戦時日誌(3)』。Ref.C08030051000。 
    • 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(1)』。Ref.C08030127400。 
    • 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(2)』。Ref.C08030127500。 
    • 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(3)』。Ref.C08030127600。 
    • 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌 (4)』。Ref.C08030127700。 
    • 『昭和19年11月1日~昭和20年2月5日 第5艦隊戦時日誌(2)』。Ref. C08030019900。 
    • 『昭和19年11月20日~昭和19年12月30日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030102400。 
    • 『昭和19.1~昭和20.2大東亜戦争経過概要(護衛対潜関係)其の2/昭和19年12月』。Ref.C16120660300。 
    • 『第2次世界大戦略歴大東亜戦争経過概要(防衛省防衛研究所)昭和19年10月経過概要~昭和19年12月経過概要』。Ref.C16120725100。 
  • SS-244, USS CAVALLA(issuuベータ版)
  • SS-366, USS HAWKBILL(issuuベータ版)

関連項目


「桃 (松型駆逐艦)」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「桃_(松型駆逐艦)」の関連用語

桃_(松型駆逐艦)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



桃_(松型駆逐艦)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの桃 (松型駆逐艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS