硫黄島方面作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 04:05 UTC 版)
「松 (松型駆逐艦)」の記事における「硫黄島方面作戦」の解説
サイパン島救援作戦の中止により、同島救援作戦のため準備されていた陸軍部隊は各地に転用された。歩兵第145連隊などが小笠原諸島や硫黄島に転用された。十一水戦(長良、冬月、松、清霜)、第五艦隊の軽巡2隻(木曾、多摩)、中部太平洋方面艦隊の駆逐艦2隻(皐月、夕月)、海上護衛総司令部部隊の駆逐艦2隻(旗風、汐風)、第21駆逐隊(若葉、初霜)および輸送船と高速輸送艦で、小笠原諸島や硫黄島への増援輸送を実施することになった。本作戦は「伊号作戦」と呼称され、第十一水雷戦隊司令官が指揮をとる。第五艦隊は輸送任務を解除され、北方にもどった。 6月28日早朝、輸送船「能登丸」は横須賀を出港して硫黄島にむかい、同船を若葉指揮下の駆逐艦が護衛する。6月29日、4隻(長良、冬月、松、第4号輸送艦)も横須賀を出撃した。30日未明、「能登丸」は父島に到着して揚陸を開始、後続部隊も順次到着した。陸軍部隊は駆逐艦、輸送艦、機帆船で硫黄島へ進出した。任務終了後、十一水戦の大部分は7月2日-3日にかけて横須賀へ帰投した。内地帰投後、「松」は横須賀鎮守府横須賀防備戦隊甲直接護衛部隊に編入された。 7月3日から4日かけて、アメリカ海軍機動部隊は小笠原諸島や硫黄島を襲撃し、同方面の航空戦力や所在艦船は大損害をうけた。同方面の重要性は、大本営海軍部も深く認識していた。7月6日、「松」は硫黄島への輸送任務に向かう第4号輸送艦の護衛に指定され、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}同日横須賀を出撃[要出典]。7月8日、兄島にて航行不能に陥った第153号特設輸送艦を神風型駆逐艦「旗風」が曳航するのに伴い、第4号輸送艦とともに硫黄島での揚搭作業終了後これの護衛に当たるよう指示される。この際、「旗風」からは近海で活動する6潜水艦を懸念して横須賀防備戦隊司令部に対して更に護衛艦2隻の増派が要求されていたが、修理や当面の任務作戦実施上の都合から増派不可能との返答がなされている。7月12日、「松」ら2隻の護衛のもと、「旗風」は館山 に到着、曳航した第153号特設輸送艦を仮泊させた。 7月8日、第二護衛船団司令官清田孝彦少将は呉防備戦隊司令官へ転任した。高橋一松少将(海兵40期)が第二護衛船団司令官となる。同8日、大本営海軍部はひきつづき小笠原諸島方面輸送の重要性を強調した(大海指第420号)。15日、日本海軍は秋月型駆逐艦「霜月」と「冬月」により第41駆逐隊を、松型4隻(梅、竹、松、桃)により第43駆逐隊を、それぞれ編制する。第41駆逐隊司令には脇田喜一郎大佐、第43駆逐隊司令には菅間良吉大佐が任命された。 7月16日、駆逐艦2隻(松、旗風)、第4号輸送艦、第204号特設輸送艦および第152号特設輸送艦とともに同日編成された『第三七一八船団』の甲分団に組み込まれ、7月18日に横須賀を出撃し硫黄島への輸送任務に就いた。
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