硫黄島攻撃と関東防空
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/03 05:44 UTC 版)
「第六〇一海軍航空隊」の記事における「硫黄島攻撃と関東防空」の解説
昭和20年(1945年) 2月14日 香取飛行場進出下令。 2月16日 関東に敵機動部隊艦上機襲来(ジャンボリー作戦)。先発隊が邀撃。 2月20日 硫黄島の戦いに対応して特攻下令。実施部隊は「第二御盾隊」と命名され、八丈島飛行場に進出。 2月21日 5波にわたって第二御盾隊突入。護衛空母ビスマーク・シー撃沈、空母サラトガ他を撃破。 3月中 百里飛行場で再建作業に着手。戦闘飛行隊3・攻撃飛行隊1の防空主体の編制に変更。 3月28日 沖縄戦が始まると天号作戦のため主力を国分飛行場に展開、関東防空は留守部隊が継承。 主力が4月17日まで沖縄戦に従事している間、4月7日にB-29戦略爆撃隊が関東を強襲している。この際に六〇一空は12機で邀撃し、うち1機が体当たりによって1機を撃墜している。
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