再建作業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/03 05:44 UTC 版)
六〇一空はマリアナ沖海戦から帰還後、松山飛行場・岩国飛行場を練習場として再建を図った。8月3日に連合艦隊の小改正があり、壊滅した一航戦は建造中の信濃や雲龍で再建することとなり、唯一残存した瑞鶴は三航戦に転出した。ただし、艦上機は従来どおり六〇一空のままである。六〇一空の再建は昭和19年末に完結する予定で、5個飛行隊が充当された。 その後8月10日に連合艦隊直率に移されたが、練成が進められていた艦攻隊(攻撃二六二飛行隊)はT攻撃部隊に編入のうえ台湾沖航空戦へと投入され、台湾沖航空戦に参加しなかった航空隊もレイテ沖海戦に際しては、囮艦隊に参加する瑞鶴の艦上機として、練成が進行した者には出撃命令が下された。この部隊は三航戦の第六五三海軍航空隊と同一行動をとっているので、六五三空の項目を参照されたい。 レイテ沖海戦で機動部隊が壊滅したことを受け、昭和20年1月1日に再建途上の一航戦は第二艦隊に移されたが、信濃・雲龍が相次いで戦没した上に、艦船燃料の払底が危惧されたため、2月11日をもって再建を断念した。六〇一空は第三航空艦隊に編入され、基地航空隊へと変貌し、目前に迫った硫黄島の攻防戦に借り出されることになった。
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