硫黄島における遺骨帰還のための特命チーム
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「阿久津幸彦」の記事における「硫黄島における遺骨帰還のための特命チーム」の解説
硫黄島における遺骨収集は第1次安倍内閣時代から進められたが、硫黄島は中心部に軍事基地があるため、発掘作業は島の外側で行われており、収集できた遺骨は約8700柱に留まっていた。麻生内閣で硫黄島の滑走路を引きはがして島中央の遺骨収集する計画を決定したが、鳩山由紀夫内閣によって中断されていた。自民党は森喜朗や新藤義孝が菅直人に事業の継続を要請し、菅直人は自民党に謝意と事業の継続を約束した。2010年、阿久津は「硫黄島における遺骨帰還のための特命チーム」のチームリーダーに指名され、米国に派遣された。阿久津はアメリカ国立公文書記録管理局を訪問し、摺鉢山付近に日本兵の集合埋葬地があることなどの記録を確認。さらに、米国国防総省の捕虜・行方不明者調査局を訪問し、調査への協力を確認した。2010年8月、阿久津の持ち帰った資料を基づいた試掘が行われたが遺骨の発見はされなかった。そのため、厚生労働省がアメリカ国立公文書記録管理局で公文書の再調査を行い、10月の再試掘で滑走路の西部や摺鉢山麓に大規模な集団埋葬地を発見することに成功した。
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