硫黄島および沖縄での砲撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 04:29 UTC 版)
「テキサス (BB-35)」の記事における「硫黄島および沖縄での砲撃」の解説
ニューヨークでテキサスは主砲身の交換を含む36日間の修理を行う。修理後の短期訓練の後、11月にニューヨークを出航しパナマ運河経由で太平洋に向かう。途中カリフォルニア州ロングビーチに立ち寄り、オアフ島に向かった。クリスマスを真珠湾で過ごした後、ハワイ水域で一ヶ月に及ぶ演習を行い、その後ウルシー環礁へ向かう。1945年2月10日にウルシー環礁を出航しマリアナ諸島に二日間立ち寄った後、硫黄島に向かう。2月16日に硫黄島に到着すると、上陸前の艦砲射撃を開始する。硫黄島の日本軍拠点に対し三日間の砲撃を行い、2月19日に上陸が始まるとテキサスは上陸部隊の援護射撃を行う。2週間に及ぶ援護射撃で、海兵隊が島を制圧するのを支援した。 硫黄島の戦いは3月16日まで続いたが、テキサスは2月末に同水域を離れ、3月上旬にウルシー泊地で沖縄進攻作戦の準備を開始した。テキサスは第54任務部隊と共にウルシー泊地を3月21日出航し、3月26日に沖縄水域に到着した。テキサスは3月26日に開始した慶良間列島の占領戦に参加しなかったが、沖縄本島への上陸に先駆けて行われた艦砲射撃に参加した。続く6日に渡って14インチ砲弾を陸軍および海兵隊支援のため日本軍陣地に撃ち込んだ。日本軍は硫黄島で行ったような反撃を行うことはなかった。航空部隊による僅かな反撃が行われ、特攻機が突入を試みたが、テキサスは幸いにも損害を回避することができた。6日間に及ぶ空爆、艦砲射撃の後、地上部隊の侵攻は4月1日に開始された。地上部隊は当初僅かな抵抗を受けたが、テキサスはほぼ二ヶ月の間地上部隊への支援砲撃を行った。 5月末にテキサスはフィリピンのレイテ島へ退き、8月15日の日本降伏後まで同所に留まった。
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