硫黄島・沖縄戦とは? わかりやすく解説

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硫黄島・沖縄戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 16:35 UTC 版)

エンタープライズ (CV-6)」の記事における「硫黄島・沖縄戦」の解説

12月24日エンタープライズ夜間戦闘機運行訓練開始した一方で小規模改装着艦誘導灯設置など)を受け、エンタープライズ夜間空母へと生まれ変わった。この時期エンタープライズは第90夜間航空群を搭載した夜間航空群のため急降下爆撃機全て下ろしレーダー装備したヘルキャット戦闘機アベンジャー雷撃機55程度搭載していた(ヘルキャット34アベンジャー21)。この第90夜間航空群は、かつて夜間攻撃成功させた第10航空群の主力引き継いでいた(12名以上、エンタープライズ乗組員顔馴染みがいた)。そもそも夜間空母必要性提唱していたのがかつてトラックでの夜間攻撃画策した第10雷撃隊長のビル・マーティン中佐で、彼は夜間空母改装されエンタープライズに第90夜間航空指揮官として帰って来た。夜間空母任務夜間防空夜間爆撃夜間索敵等の夜間作戦が主要で、敵地攻撃に際しては、敵地まで他の通常空母任務群と行動を共にして、敵地近くなる先頭立って夜間敵基地機能破壊する、というものだったそれ以外で、昼間にも防空を行わなければならないこともあった。そのため、乗組員は暇さえあれば昼寝推奨された。また、夜間比べれば昼間は暇なため、情報将校によるスペイン語講座等も開かれパイロット達に人気博した。 この当時夜間航空戦闘母艦からおよその敵の位置誘導されその後自機レーダーで敵を発見攻撃仕掛け時には夜間適合視認装置補助をもって直接目視確認する必要があった。そのため敵の曳光弾自機機銃ロケット弾発射目が眩む事が多かった中でも厄介なのは地上攻撃を行う際に敵から照射されるレーダー連動サーチライトだった。夜間空母パイロット達は、チャフ電波妨害装置用いてこれらに対応した1945年1月エンタープライズ第38任務部隊の第5群に加わり既に夜間空母として活動していた軽空母インディペンデンス合流した。この第38任務部隊への参加についてエンタープライズに、指揮官ハルゼー提督から個人的に歓迎電文送られた。ルソン島近海進出し南シナ海における日本本土蘭印海上補給ライン遮断掌握協力してウルシー帰還した2月10日第58任務部隊戻ったそのときにはインディペンデンス修理のために後退し夜間空母へと改装されサラトガ入れ替わっていた。2月16日から東京空襲硫黄島攻略目的としたデタッチメント作戦参加硫黄島の戦い)した。東京攻撃に際して夜間雷撃機多くエレクトロニック兵器搭載した電子戦機として、敵のレーダー基地位置の特定などでも活躍した(F6F1機の支援受けたTBF1機が東京上空4時飛行して電波観測23個のレーダー発見し、他にパルス幅、周波数パルス反復周波数データ収集した)。硫黄島攻略の際は、日夜問わず第58任務部隊防空担当した21日サラトガ神風の突入大破戦線離脱するエンタープライズ唯一の作戦可能な夜間空母になり、単艦で数多く任務をこなす必要が出てきた。23日午後4時から、1週間以上にも及ぶ連続した作戦開始したエンタープライズでは乗組員ローテーションを組ませて艦を不眠不休保って艦載機運用174時間渡って硫黄島上陸した海兵隊援護したその間エンタープライズの上哨戒機が2機以下になることはなかった。 3月15日、同任務部隊ウルシー出撃して沖縄攻略目的としたアイスバーグ作戦先立って、主に九州展開する日本陸海軍飛行場日本本土から海上輸送による沖縄救援防止するため日本海展開する輸送船攻撃したその間エンタープライズ防空専念していたが3月18日日本海軍機一機(艦上爆撃機・彗星三三型推測される。)の奇襲爆撃により500キロ爆弾直撃を受け、不発弾(或いは投下から着弾までの時間が短すぎたために信管不作であった。)だったものの損傷受けたまた、爆弾から撒き散らされ白リンによって3名が焼死した。他に味方5インチ砲弾右舷後部キャットウォーク命中し被害受けている。19日翌日の呉攻撃為の夜間偵察行い偶然に戦艦大和遭遇した機もあった。3月20日には至近弾2発のほか、対空戦闘中に直援艦の誤射受けた40ミリ機銃爆発破片エンタープライズ甲板整列していた艦載機直撃したその後次々と艦載機引火機銃弾の誘爆起こり大火災発生した。炎がアイランド舐め、さらに格納庫甲板にまで迫った消火ホース水のカーテン作ったり、過熱した爆弾消火泡で満たしたエレベーター飛行甲板にあげるなど的確にダメージコントロールが行われ、1時間以内火災鎮火された(CIC通常の無線チャンネル機能しなくなっていたが、その間にも味方艦からのVHF無線敵機位置情報得て対空戦闘続けていた)。しかしながら火災により司令塔たるアイランド設備喪失したため、大破したフランクリンとともにウルシー帰還し6日間修理行った4月5日エンタープライズ沖縄攻略支援するためウルシー出撃した(沖縄戦)。エンタープライズ4月11日特攻機攻撃を受け、左舷後部突入しようとした特攻機寸前撃墜したものの破片エンタープライズ砲座襲い離れた爆弾バルジ直下爆発したバルジにより浸水免れたが、対空レーダー折れて甲板落下するほどの衝撃が艦を襲い船体各所損害発生したまた、至近特攻機によりカタパルト上で発艦準備中のだった無人ヘルキャット炎上したそのままカタパルト射出事なきを得たエンタープライズ大きな損害受けたが、そのまま任務2日継続14日ウルシー引き返した喫水線下の損害であったが、工作艦ジェイソン支援もあり16日修理を終わらせた。修理後沖縄沖で防空夜間作戦従事したその後5月11日第58任務部隊旗艦空母バンカーヒル神風特攻突入を受け大破戦場離脱しエンタープライズ第58任務部隊旗艦引き継いだ12日には、かねてより計画されていた夜間の敵飛行場対す効果的な(と思われる攻撃戦術試された。その戦術日暮小型焼夷弾ロケット弾機銃弾を満載した夜間爆撃隊を発艦散開させ、暗くなる単機あるいは2機のペア各地飛行場爆撃(この日、エンタープライズ16機のアベンジャー雷撃機九州の西佐世保以南、東は佐伯以南全ての飛行場加えて各地、特に長崎佐世保海上交通、港を攻撃した)。敵飛行場施設損害与え一晩中上空飛行し修復作業妨害する遅れて夜間戦闘機隊は夜明け前敵飛行場到達して爆撃隊と交代薄明のなかを離陸しようとする敵機攻撃して離陸妨害(ジッパー任務)、その後通常空母から発艦した攻撃隊に攻撃引き継ぐ、というものだった。この攻撃戦術効果大きく翌日任務部隊に近づけた敵機は一機もいなかった。 5月14日26機の日本機がTF-58目掛けて飛来してきた。6機が対空砲火撃墜19機が上空哨戒機によって撃墜された。だが、富安俊助中尉 搭乗の1機のみは集中砲火避けて隠れ、時々雲から顔を出してエンタープライズ位置確認しつつ生き残っていた。そして午前6時56分、この1機がエンタープライズ向かって突撃してきた。エンタープライズ富安機を20分前からレーダー認識していたが、富安機が隠れるなどしたため効果的な反撃出来ずにいた。エンタープライズ回頭艦尾向けたときに富安機は満を持して降下攻撃実施エンタープライズ右舷後方から降下してくる富安機に対して右舷回頭して集中砲火行なったが、富安機は機体横滑りさせるなどして回避オーバーシュートする寸前に艦の真上で180度に左回転し背面飛行の状態から急降下し前部エレベーター後部突入した前部エレベーター爆発によって400フィート(≒120m上空まで吹き上げられエンタープライズ左舷海面落下したエンタープライズ大破炎上し破孔からの浸水によって前部2.2メートル沈下し深刻な損傷負ったエンタープライズダメージコントロール班は即座に行動し17分で火災延焼食い止めて誘爆阻止した被弾から30分で火災消火されエンタープライズ対空戦闘継続して更に2機を撃墜速度を落とすことなく旗艦として任務部隊配置守り続けた。そのダメージコントロール能力の高さにミッチャー提督エンタープライズダメージコントロール班が「かつて見た中で最高の優秀さであった賛辞送っている。また、これだけの大爆発にもかかわらず当時第2エレベーター使用中だったことと、爆弾鋼材置き場炸裂し、弾片が飛散しなかったという幸運から戦死者数13名に留まった。だが前部エレベーター飛行甲板などの損傷により発着能力麻痺し翌日ミッチャー提督ランドルフ移し旗艦から外れた。そして16日任務部隊離脱した14日が、エンタープライズにとっての最期の戦闘となった富安中尉遺体エレベーターホールの下で発見されアメリカ兵同じよう丁重に水葬された。彼は海軍関係者から「これまで日本海軍3年かかってもできなかったことを、たった一人一瞬の間にやってのけた。」と称賛言葉受けた。この時の機体破片は後に、軍属二級登録板金工だったノーマン・ザフトから富安中尉家族返還された。さらに、富安中尉衣服中にあった50銭札2020年7月家族返還された。 修理のためにエンタープライズ戦列離脱しウルシーパールハーバー経由して本国へと向かったパールハーバー入港時には"VICTORY"の"V"と"ENTERPRISE"の"E"の文字作ったアベンジャー雷撃機編隊歓迎された。6月7日ピュージェット・サウンド海軍工廠到着し修理オーバーホール中(6月12日8月31日)に終戦迎えた

※この「硫黄島・沖縄戦」の解説は、「エンタープライズ (CV-6)」の解説の一部です。
「硫黄島・沖縄戦」を含む「エンタープライズ (CV-6)」の記事については、「エンタープライズ (CV-6)」の概要を参照ください。

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