埋葬地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 14:51 UTC 版)
楊貴氏の墓地(つまり墓誌の出土地)については、現在五條西中学校の敷地直下にある高さ1メートル、直径3メートル程に盛られた小盛土に「楊貴氏之墓」と刻んだ30センチ程の高さで15センチ四方の墓碑が建てられ、そこが「楊貴氏墓誌出土地」として顕彰されているが、下述するようにその盛土は大正末年(20世紀前葉)に整備されたもので、本来の所在地は特定できず、また諸記録から特に墳丘や盛土による古墓ではなかったようである。 因みに、古墓出土地と伝える大沢町に近い五條市西釜窪の丘陵からも陶製蔵骨器が出土しており、五條市一帯にかけては土師器や須恵器を多量に伴出する古墓群が存し、同市が上代の火葬墓が広く分布する地である事が判るので、地理的には楊貴氏の古墓がそうした火葬墓であった可能性は高い。なお、楊貴氏と同時代の古墓として、上述岡山県圀勝寺の下道圀勝圀依母夫人骨蔵器の出土地から僅か10メートル程離れた所(いずれも現岡山県矢掛町東三成)で墓底に長方形の塼12枚を敷き並べた上に蔵骨器である甕を伏せた状態で発掘された古墓があり、楊貴氏の古墓も同様の構造であったと推定される。
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