五十鈴 (軽巡洋艦)
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五十鈴(いすず)は、大日本帝国海軍の軽巡洋艦。長良型の2番艦である。 艦名は川の名で、三重県伊勢市(伊勢神宮内宮)を流れる五十鈴川より名づけられた[2]。
- ^ a b c d e #海軍制度沿革11-2(1972)pp.1057-1087、昭和3年2月14日(内令43)艦船要目公表範囲。
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- ^ 大正12年8月15日付「海軍内令第302号」海軍定員令改正「第50表 二等巡洋艦定員表 其4」。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 軽巡洋艦『長良・五十鈴・名取』行動年表、43ページ
- ^ #衝突
- ^ 駆逐艦「早蕨」、台湾沖合で沈没『東京日日新聞』昭和7年12月5日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和6年-昭和7年』本編p47 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 軽巡洋艦『長良・五十鈴・名取』行動年表、43ページでは「五十鈴」は8月20日多度津発。
- ^ 『紀元二千六百年祝典記録・第六冊』、369頁
- ^ 『中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降』195-196ページ、『南東方面海軍作戦<2>ガ島撤収まで』162-163ページ
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- ^ 戦史叢書第83巻 南東方面海軍作戦<2>ガ島撤収まで、376-377ページ
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- ^ レイテ沖 この非情なる大海戦、288-289ページ
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- ^ 日本軽巡戦史、504ページ
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- ^ 戦史叢書第62巻 中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降、438ページ、防空巡洋艦となった五十鈴、38ページ
- ^ 戦史叢書第62巻 中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降、438ページ
- ^ 戦史叢書第62巻 中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降、477、481ページ
- ^ 戦史叢書第62巻 中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降、488-489ページ
- ^ a b 戦史叢書第62巻 中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降、489ページ
- ^ a b 戦史叢書第62巻 中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降、508ページ
- ^ 防空巡洋艦となった五十鈴、38ページ
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- ^ レイテ沖 この非情なる大海戦、298ページ
- ^ a b 戦史叢書第62巻 中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降、509ページ
- ^ 図で見る軽巡『長良・五十鈴・名取』変遷史、25-26ページ
- ^ 図で見る軽巡『長良・五十鈴・名取』変遷史、26ページ、防空巡洋艦となった五十鈴、38ページ
- ^ 防空巡洋艦となった五十鈴、39ページ
- ^ 図で見る軽巡『長良・五十鈴・名取』変遷史、26ページ、防空巡洋艦となった五十鈴、39ページ
- ^ a b c 戦史叢書93巻、30-34頁「大本営海軍部の水上兵力整頓の基本方針」
- ^ a b 戦史叢書93巻、34-36頁「第一機動艦隊、第三艦隊の解隊(十一月十五日)」
- ^ 戦史叢書93巻、51頁「レイテ増援輸送作戦を多号作戦と呼称」
- ^ 戦史叢書93巻、62-65頁「軍需品搭載船団の全滅」
- ^ a b c 戦史叢書93巻、67-69頁「第一水雷戦隊の解隊と第三十一戦隊の第五艦隊編入」
- ^ a b c d e f g h i 戦史叢書93巻、73-74頁「南西方面艦隊、駆逐艦の不足を訴う」
- ^ 戦史叢書93巻74頁の説明では護衛艦を梅とする。
- ^ 戦史叢書93巻、128-129頁「水上部隊」
- ^ a b c d e f g 戦史叢書93巻、179-180頁「第三十一戦隊の第二艦隊編入」
- ^ a b 戦史叢書93巻、178-179頁「第五艦隊の解隊」
- ^ 日本軽巡戦史、643ページ
- ^ 日本軽巡戦史、644ページ
- ^ 日本軽巡戦史、644-645ページ
- ^ 日本軽巡戦史、645-646ページ
- ^ a b c 梅本、2010年、p.120
- ^ 日本軽巡戦史、646ページ
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- ^ a b 『官報』第3314号、大正12年8月16日。
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第402号 昭和14年11月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076700
- 1 五十鈴 (軽巡洋艦)とは
- 2 五十鈴 (軽巡洋艦)の概要
- 3 概要
- 4 歴代艦長
- 5 脚注
「五十鈴 (軽巡洋艦)」の例文・使い方・用例・文例
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