レイテ島の戦いまでとは? わかりやすく解説

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レイテ島の戦いまで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 23:58 UTC 版)

竹 (松型駆逐艦)」の記事における「レイテ島の戦いまで」の解説

仮称艦名第5482号艦として、横須賀海軍工廠建造される1943年昭和18年10月15日起工1944年昭和19年1月25日、「竹」と命名される同日付で松型駆逐艦一等駆逐艦)に類別3月28日進水本籍横須賀鎮守府定められる4月15日日本海軍田中弘少佐海兵60期)を、竹艤装員長任命する4月20日横須賀海軍工廠に竹艤装事務所設置し事務開始した5月6日可兒祥男大尉当時戦艦山城分隊長)が竹艤装員として着任吹雪型駆逐艦天霧沈没後、5月16日付で横須賀鎮守府となった天霧水雷長志博大尉(旧姓保坂)も、5月20日付で竹艤装員に補職される。当時型2隻(、竹)は横須賀海軍工廠ポンツーン艤装工事中であり、元天霧艦長吉永少佐は「」に、元天霧水雷長の志賀は隣の「竹」に着任したという。「」が出撃したあとは、浮桟橋3番「桐」係留されることになった6月16日、「竹」は竣工した同日付で艤装事務所撤去する田中少佐制式に竹駆逐艦長となる。主要初代幹部は、航海長高井義助中尉砲術可兒祥男大尉水雷長志博大尉(先任将校)、機関長桜井達也中尉主計長小林義治主計少尉軍医長湯川真治軍医少尉など。 竣工後の「竹」は、訓練部隊第十一水戦隊司令官高間少将海軍兵学校41期。当時旗艦は「長良」)に編入される6月中は横須賀から動かなかった。7月初旬横須賀から瀬戸内海移動し秋月型駆逐艦冬月」や夕雲型駆逐艦清霜」および姉妹艦訓練をおこなう。7月中旬門司物資搭載南大東島への輸送作戦参加する詳細後述)。7月15日付で、秋月型駆逐艦2隻(霜月冬月)により第41駆逐隊が、松型駆逐艦4隻(、竹、)により第43駆逐隊駆逐隊司令菅間吉中佐) が、それぞれ編制される7月8日大本営海軍部は大海指第421号により、連合艦隊対し陸軍兵力南西諸島方面輸送命じた。これを「呂号輸送」(ろ号作戦輸送)と呼称する。輸送部隊指揮官は、第十一水戦隊司令官であった7月16日軽巡洋艦長良」(第十一水戦隊旗艦)、重巡洋艦摩耶」、練習巡洋艦鹿島」、駆逐艦5隻は中津沖を出撃する輸送部隊は、第一輸送隊長良鹿島冬月清霜、竹)、第二輸送隊摩耶朝雲浦風)、沖縄大東島輸送第三輸送隊冬月清霜、竹)にわかれていた。 7月17日、呂号作戦部隊は沖縄中城湾到着した宮古島向かった第二輸送隊内地帰投せず、そのままマニラ経由リンガ泊地向かった冬月駆逐艦長指揮下の第三輸送隊南大東島への緊急輸送任務を行う。その後第二輸送隊を除く各艦は予定輸送任務終えて19日午前1時に中城湾出港し20日-21日に呉へ帰投した。 任務完遂し、「ロ」号作戦輸送部隊解散した 8月1日連合艦隊第五艦隊第二十一戦隊第一水雷戦隊)と第十一水戦隊等により第二遊撃部隊指揮官第五艦隊司令長官志摩清英中将)を新編し、機動部隊編入した。沖縄方面輸送終えた「竹」と夕雲型駆逐艦清霜」に対しパラオ方面緊急輸送任務与えられる8月10日駆逐艦2隻(清霜、竹)は柱島泊地出港し馬公市経由してフィリピン進出する8月16日マニラ到着8月17日からの本艦は「清霜」の指揮受けてパラオ方面への輸送作戦セブへの引揚者輸送任務に就く。翌18日午前3時頃、パラオ方面輸送作戦従事中の軽巡洋艦名取」が、ミンダナオ島ダバオ北東で、アメリカ潜水艦ハードヘッド (USS Hardhead, SS-365) の雷撃大破避退中に沈没した本艦を含む5隻(清霜、竹、鬼怒時雨浦波)が名取救援命じられ現場むかった名取捜索隊遭難者発見できず、セブ島帰投した。「清霜」はパラオにむかい、「竹」は南西方面艦隊指揮下で船団護衛任務従事するつづいて「竹」は、別艦の救援任務従事するパラオ諸島北部ガルワングル環礁座礁中して行動不能になった白露型駆逐艦五月雨」の救援命じられた。8月26日夜、ガルワングル環礁到着した「竹」は「五月雨」より生存者収容した大熊安之少佐五月雨駆逐艦長)と田中少佐(竹駆逐艦長)は海兵同期であり、田中説得により大熊も退艦して「竹」に移乗し輸送作戦中の8月20日日本海軍第三水雷戦隊残余松型駆逐艦基幹として、第三十一戦隊司令官江戸太郎少将海兵40期)を新編した。第43駆逐隊第三十一戦隊編入される。「竹」は燃料補給と「五月雨乗組員降ろすためセブ島立ち寄りその後パラオに向った。 「マタ30船団」および「スヌーク (潜水艦)」も参照 8月30日からは南西方面艦隊司令長官三川軍一中将海兵38期。第三南遣艦隊司令長官兼務)の指揮下に入りマニラ各地との間で船団護衛従事した10月4日、「竹」はミリ行きマミ11船団護衛してマニラ出港したが、翌5日ミンドロ海峡アメリカ潜水艦コッド (USS Cod, SS-224) の雷撃により「辰城丸」(辰馬汽船、6,886トン)を失った14日ミリ到着して マニラ帰投後、10月20日深夜23時40分には高雄行きマタ30船団護衛マニラ出港した。この船団部隊指揮官座乗する神風型駆逐艦春風」の名前を取って別名「春風船団」と呼称されていた。10月23日夕方マタ30船団ルソン島ボヘヤドール岬北西沖で元特設水上機母艦君川丸」(川崎汽船、6,863トン)がアメリカ潜水艦ソーフィッシュ (USS Sawfish, SS-276) の雷撃沈没したのを手始めに、船団加入12隻のうち9隻が潜水艦波状攻撃により沈没する惨敗喫したこのうち阿里山丸」には捕虜1500名が乗船していたが、米潜水艦撃沈されてしまった。「竹」は残存船舶誘導して損害食い止め、また遭難者の救助従事した。「春風」はアメリカ潜水艦シャーク (USS Shark, SS-314) を撃沈し一矢報いた。「竹」水雷科の茂呂水兵長によれば、「春風」より輸送船艦名不詳曳航命令があったが、曳航作業前に対象輸送船を見失い、単艦で高雄へ向ったとしている。また高雄到着後もバシー海峡出動し遭難者約400-500名を救助してルソン島サンフェルナンド送り届けた回想している。

※この「レイテ島の戦いまで」の解説は、「竹 (松型駆逐艦)」の解説の一部です。
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