レイテ島への進出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/04 16:08 UTC 版)
「独立歩兵第364大隊 (日本軍)」の記事における「レイテ島への進出」の解説
10月20日、米軍がレイテ島東岸のタクロバン、ドラグ付近に上陸を開始した。これを受けて第35軍は、24日にドラグ会戦計画を策定した。この計画の中で第364大隊は、第102師団長の指揮の下で、独立歩兵第169、171、172大隊とともにレイテ島オルモックに上陸し、速やかにダガミに進出することとされた(のち、第172大隊はレイテ派遣中止)。第364大隊は25日にセブ島を出発し、同日、オルモックに1個中隊半が辿り着いたが、ここで敵の空襲を受けて坪川大隊長が戦死した。第35軍は野尻興大尉を後任の大隊長に充て、中央部は30日付でこれを発令した。 その後、第364大隊はセブ島から続いて来着する将兵を待ち、11月上旬にオルモック集結を完了した。その過程で第35軍は、南方への警戒のため、10月30日に第364大隊の1個小隊をオルモック南方50kmのバイバイに派遣した。また、11月2日に米第7師団の先鋒がバイバイに進出したため、同7日、オルモックにいた第364大隊の1個中隊をひとまず南下させたが、同中隊は米第32連隊第2大隊の待ち伏せ攻撃に遭い、多大な損害を出した。
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