レイテ決戦方針の動揺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:14 UTC 版)
11月10日の時点で、多号作戦第三次輸送部隊と第四次輸送部隊は順調に輸送作戦を続行しているようにみえた。大本営はあくまでレイテ決戦と精鋭戦力の増強(輸送)を基本方針としており、南方軍に対し台湾配備の第十師団のフィリピン投入を通知、くわえて「今ヤ決戦ノ機ヲ目前ニ控ユルノ秋 決戦兵団カ逐次順調裡ニ主決戦場ニ到着シツツアルコトハ同慶ニ堪ヘサルト共ニ 大本営ハ更ニ現地軍ノ有力兵団(部隊)ノ果敢機ニ投スル投入断行ヲ期待シ其ノ必成ヲ記念シアリ」と要望した。この前後、マニラで南方軍(寺内元帥)と第14方面軍(山下大将)はレイテ決戦について合同研究を実施する。翌11月11日、寺内総司令官はレイテ決戦続行を決断し、山下第14方面軍司令官も了承した。南方軍と南西方面艦隊では、今後のレイテ決戦輸送計画を立案する。歩兵第5連隊1コ大隊は15日(マニラ)発、第26師団軍需品は18日発、歩兵第5連隊主力は20日発、第68旅団主力は20日発、独立混成58旅団主力は20日発、第23師団主力は27日発という内容である。直後、第三次輸送部隊全滅の急報が入り「望ミヲ嘱シタル第二十六師団ハ三分ノ一強 軍需品ノ突入輸送ハ意外ナル蹉跌ニ依リテ成果予期ノ如クナラザル報ニ接シ」、南方軍は「レイテ地上決戦続行は不利」と大本営に意見具申してレイテ決戦中止の決断を(暗に)求めた。 11月13日、大本営陸軍部はレイテ決戦方針の堅持を現地陸軍に伝達し、大本営陸軍部・海軍部はさらに増援部隊の派遣を計画していると述べた。14日、参謀総長は昭和天皇に「『レイテ』方面ノ補給ノ状況ニ就テ」上奏し、18日に輸送船4〜5隻、24日に輸送船3〜4隻で軍需品を輸送するとの計画を述べた。ところが、投入予定の輸送船は13日と14日のマニラ空襲で全滅した(詳細後述)。 その頃、日本陸軍第23師団乗船の輸送船はヒ81船団に加わり、11月13〜14日に北九州を出発、マニラに向け南下中であった。第23師団は12月上旬にレイテ島へ進出する予定だった。11月15日以降、アメリカ海軍潜水艦の襲撃により3隻(空母神鷹〈11月17日〉・あきつ丸〈11月15日〉・摩耶山丸〈11月17日〉)が沈没し、6,000名以上が戦死する大惨事となった。第23師団司令部は師団長と参謀1名のみ救助され残りは全滅、機能を喪失した。残存部隊を乗せた特殊船2隻(神州丸・吉備津丸)も台湾に退避した。大本営陸軍部はレイテ地上決戦が不可能になったことを悟ったが、対外的には断固としてレイテ決戦を遂行すると表明した。昭和天皇も戦況奏上の際に「陸海協力、全力をかけて勝ち抜くよう」と指導した(11月20日)。 11月17日、南方軍司令部(寺内元帥ほか)は空路でマニラからサイゴンへ後退した。
※この「レイテ決戦方針の動揺」の解説は、「多号作戦」の解説の一部です。
「レイテ決戦方針の動揺」を含む「多号作戦」の記事については、「多号作戦」の概要を参照ください。
- レイテ決戦方針の動揺のページへのリンク