第68旅団
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満州から台湾経由で投入。しかしこの旅団がオルモックに到着する直前に米軍に上陸されてしまい、12月7日サン・イシドロに上陸。結局活躍の機会があまりなし。 兵力6392 生還者90 旅団長栗栖猛夫少将は、昭和20年1月以後のレイテ島残留部隊の最高指揮官。昭和20年3月以後消息不明。
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第68旅団
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動員された第68旅団は、『学校教導団の教官・教員・下士官兵等、現役が多く、素質優良で日本陸軍最精強部隊と期待された』とする著作物が多く存在するが、大東亜戦争開戦後には大きく徴兵人数が増加しており、学校の教導連隊は、従来の最低でも新兵教育での第二期検閲終了後の成績優秀者を以て編成する近衛兵と並ぶ最精鋭部隊と言う姿は既になく、留守師団の補充隊と変わらずに普通に新兵教育を担う場の一つと化していたのが実情であった。 但し、前線部隊が下級将校に上級職を執らせざるをえない全軍状況下に於いて、学校での人事として一階級・二階級上級者の中佐の大隊長や少佐の中隊長等が居たり、第68旅団は、『大隊長.中隊長の階級は頭でっかち、兵は教育途上で実戦経験なし』と言うのが実態であったが、戦術研究のため一式機動四十七粍速射砲、一〇〇式機関短銃、一〇〇式火焔発射機、狙撃銃などの最新兵器が優先的に配備されていたのも事実である。 素質優良で日本陸軍最精強部隊とは、戦前の平時の軍学校教導連隊のあり方から発せられた発言であって、急激な新兵増加は教育の場が不足しており、満州、中国、南方にも未教育兵を送っている状況下では、軍学校教導連隊を新兵教育を行う場とするのは当然の成り行きであった。本当に短期間での軍学校教導連隊の体制変化であるので、現場の学校以外の前線や部隊では、高級将校であっても、その教導連隊の体制変化の実情を知らず、戦前の素質優良で日本陸軍最精強部隊の印象・感覚のままでの思い込みでの教導連隊の評価であった。そのため大本営や方面軍首脳が、第68旅団は特別な旅団だから1コ師団の戦力に相当すると本当に信じている発言があり、旅団参謀が閉口している。
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