旅団の装備
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「第68旅団 (日本軍)」の記事における「旅団の装備」の解説
各部隊は定数以上の兵器を有していたほか、装備定数にない一式機動四十七粍速射砲、一〇〇式機関短銃、火炎放射器など、陸軍公主嶺学校における学生教育用の兵器も携行した。しかし、旅団とともに満州から台湾に輸送された兵器・弾薬のうち相当量は、そのまま台湾に残置され、フィリピンに輸送されることはなかった。これは、旅団が海上機動による反撃に使用されることが想定され、輸送した兵器・弾薬の一部のみを携行することとなったためだった。 また、旅団は火砲・重火器・弾薬等の牽引のために必要な車両馬匹を保有していなかった。このため、旅団はレイテ島上陸後、火砲等の運搬に支障を来すこととなった。
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旅団の装備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 03:30 UTC 版)
「独立混成第55旅団 (日本軍)」の記事における「旅団の装備」の解説
比島方面で急速な兵団の増強を行った結果、独立混成旅団からの改編師団4個や、新設の独立混成旅団4個に配備される火砲は決定的に不足した。進攻作戦時に押収した火砲や、コレヒドール要塞の備砲を充てても、師団砲兵隊の砲数は数門、独立混成旅団砲兵隊の砲数は2門程度に限定せざるを得ない状況だった。 独立混成第55旅団砲兵隊も、兵器班がマニラの兵器廠に日参して交渉しても1門の砲も受領することができず、セブ島駐屯時に同島の兵器廠に交渉して、ようやく四一式山砲3門を入手することができた。その後、セブ島での空襲で1門を破損したが、ホロ島到着後、セレベス島に向かう途中で撃沈された輸送船から三八式野砲と弾薬30発を引き揚げ、山砲2門・野砲1門の装備で米軍上陸を迎えることとなった。 また、旅団の各独立歩兵大隊も山砲を保有せず、迫撃砲1門、機関銃8挺、軽機関銃24挺(押収機関銃含む)、重擲弾筒12挺を装備していた。
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