レイテ沖海戦での喪失と慰霊とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > レイテ沖海戦での喪失と慰霊の意味・解説 

レイテ沖海戦での喪失と慰霊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 07:53 UTC 版)

多摩 (軽巡洋艦)」の記事における「レイテ沖海戦での喪失と慰霊」の解説

1944年10月20日からのレイテ沖海戦で、多摩小沢治三郎中将率いる囮艦隊加えられた。10月25日エンガノ岬沖海戦で、小沢艦隊空母エンタープライズ・エセックス・イントレピッド・フランクリン・レキシントン・インディペンデンス・ベロー・ウッド・ラングレー・カボット・サン・ジャシントからなる第38任務部隊攻撃受けた多摩ベロー・ウッドのVT-21、サン・ジャシントのVT-51の雷撃機TBF アヴェンジャーによる攻撃をうけ、Mk13魚雷が第2機関室直撃して大破した多摩応急修理を受け、軽巡洋艦五十鈴護衛され戦線離脱した。しかし、五十鈴被弾し空母千代田掩護要請されたため、多摩駆逐艦霜月護衛受けた。その霜月空母瑞鳳掩護に回る事になったため、多摩単独14ノット沖縄向けて航行したルソン島北西で、多摩アメリカ海軍潜水艦ジャラオ (USS Jallao, SS-368) のレーダー捉えられた。ジャラオはこれが初の哨戒であった。距離1000ヤード(910m)で艦首から発射した3発の魚雷全て外れたが、距離800ヤード(730m)で艦尾から放った4発の魚雷のうち3発が多摩に当たり、2発が爆発した。それから数分後、多摩は.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯2123東経12719分 / 北緯21.383度 東経127.317度 / 21.383; 127.317 (多摩沈没地点)の地点2つ折れて沈没した多摩艦長下総員が未帰還となった多摩1944年12月20日除籍された。 多摩沈没から70年経た2014年10月25日多摩艦内神社であった大国魂神社東京都府中市)にて、多摩乗り組んでいた戦没者慰霊式初め執り行われ2017年時点でも毎年続いている。同神社境内慰霊碑を建立しているほか、乗組員とその遺族探し行っており、2017年時点で乗組員49名が判明している。

※この「レイテ沖海戦での喪失と慰霊」の解説は、「多摩 (軽巡洋艦)」の解説の一部です。
「レイテ沖海戦での喪失と慰霊」を含む「多摩 (軽巡洋艦)」の記事については、「多摩 (軽巡洋艦)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「レイテ沖海戦での喪失と慰霊」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「レイテ沖海戦での喪失と慰霊」の関連用語

レイテ沖海戦での喪失と慰霊のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



レイテ沖海戦での喪失と慰霊のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの多摩 (軽巡洋艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS