阿里山丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/13 07:17 UTC 版)
阿里山丸(ありさんまる)は、太平洋戦争中に日本で建造された戦時標準型貨物船。船主は三井船舶。いわゆるヘルシップとして日本軍の捕虜となったアメリカ兵を移送中、南シナ海でアメリカ海軍潜水艦により撃沈された。乗船捕虜約1800人のほとんどは死亡し、1隻の船の戦没で発生したアメリカ人の死者数として最多の事例となった。
注釈
- ^ #野間ではカタ626船団参加を初航海とし、8月15日に基隆港着としているが[5]、本文ではより詳細な『徴傭船舶行動概見表』に従った。なお、#駒宮によると、カタ626船団本隊は8月11日に那覇を出て15日に基隆到着となっている[8]。
- ^ 沈没地点の座標は史料によって若干異なる。日本海軍船舶警戒部の『徴用船舶行動概見表』によると北緯20度41分 東経118度27分 / 北緯20.683度 東経118.450度[7]、船舶運営会調整の『戦時喪失船舶一覧表』では北緯20度46分 東経118度18分 / 北緯20.767度 東経118.300度[14]、アメリカ海軍公式年表では北緯20度54分 東経118度19分 / 北緯20.900度 東経118.317度となっている[15]。
- ^ 志賀(旧姓保坂)は竹の竣工から除籍まで竹水雷長。後に敷設艇巨済の艇長。
出典
- ^ a b #岩重p.43
- ^ a b c 三井造船株式会社 『三十五年史』 三井造船、1953年、101頁。
- ^ a b c d 海軍省 『海上交通保護用船名簿』 アジア歴史資料センター(JACAR) Ref.C08050059300、画像8枚目。
- ^ a b c #岩重p.122;同型船の数値。
- ^ a b c d e f g h i #野間p.399-401頁
- ^ #岩重p.23
- ^ a b c d e f g h 船舶警戒部長 海軍中将 宮里秀徳 「大東亜戦争徴傭船舶行動概見表 自昭和十九年六月十七日至昭和十九年十月二十四日 阿里山丸」『大東亜戦争徴傭船舶行動概見表 甲 第六回』 JACAR Ref.C08050039200、画像37-38枚目。
- ^ a b #駒宮p.225
- ^ #駒宮p.252-253
- ^ Cressman (1999) , p. 537.
- ^ a b c 陸軍運輸部残務整理部 『船舶輸送間に於ける遭難部隊資料(陸軍)』 JACAR Ref.C08050112500、画像38枚目。
- ^ a b c #三輪p.242
- ^ #駒宮p.279
- ^ 船舶運営会 『戦時喪失船舶一覧表』 JACAR Ref.C08050010100、画像22枚目。
- ^ a b Cressman (1999) , p. 561.
- ^ #SS-279, USS SNOOKp.214-215
- ^ a b c d #三輪p.243
- ^ a b #最後のネービーブルーp.99
- ^ a b c #最後のネービーブルーp.101-106
- ^ a b #三輪p.244-246
- ^ #三輪p.249
- ^ 土井全二郎『撃沈された船員たちの記録―戦争の底辺で働いた輸送船の戦い』光人社〈光人社NF文庫〉、2008年、204頁。
- ^ #最後のネービーブルーp.98
- ^ #三輪p.250
- ^ #三輪p.232-234
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