第7の哨戒 1944年9月 - 11月
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「スヌーク (潜水艦)」の記事における「第7の哨戒 1944年9月 - 11月」の解説
「マタ30船団」も参照 9月6日、スヌークは7回目の哨戒でコビア (USS Cobia, SS-245)、ポンフレット (USS Pomfret, SS-391) とともにウルフパックを構成し、ルソン海峡方面に向かった。途中、9月25日にサイパン島タナパグ港(英語版)に寄港し、整備の上10月4日に出航し担当海域に針路を向けた。10月下旬には、スヌークはルソン海峡に近づきつつあった。この頃、ルソン海峡にはドラム (USS Drum, SS-228)、アイスフィッシュ (USS Icefish, SS-367)、ソーフィッシュ (USS Sawfish, SS-276) からなるウルフパックと、シャーク (USS Shark, SS-314)、シードラゴン (USS Seadragon, SS-194)、ブラックフィッシュ (USS Blackfish, SS-221) からなるウルフパックが張り付いており、日本艦隊や輸送船団の動向を監視していた。10月23日夕方、折からの悪天候の中、ソーフィッシュがマタ30船団に接触し、船団最後尾の特設運送船君川丸(川崎汽船、6,863トン)を撃沈。スヌークはドラムのウルフパックに近接していたので、ともにマタ30船団への攻撃に加わることとなった。 スヌークは速力を上げ、10月24日0時前後に「7,500トン級輸送船」に対して魚雷を4本発射し、2本の命中を確認する。2時10分には、「7,500トン級輸送船」と「7,500トン級タンカー」に対して魚雷を3本ずつ計6本発射し、2つの目標に魚雷がそれぞれ1本ずつ命中したのを確認。この攻撃で「7,500トン級タンカー」こと、タンカー菊水丸(拿捕船、元オランダ船イリス/三井船舶委託、3,887トン)の船首と缶室に魚雷3本が命中(1本は不発)して炎上した後、沈没した。間髪入れず「1,000トン級護衛艦」に対して魚雷を4本発射したが、命中した様子はなかった。5時ごろには四度目の攻撃で「大型輸送船」に対して魚雷を5本発射し、2本が命中して目標が沈没するのを確認した。スヌークの攻撃はこれで終わり、退避に移った。夕刻に浮上し、シャークとの交信を試みたが反応はなかった。2日後の10月27日未明には「2,000トン級輸送船」を発見して魚雷を3本発射し、1本が命中してものすごい煙を発しているのが確認される。スヌークは11月3日に味方パイロットを救助した後、11月18日に60日間の行動を終えて真珠湾に帰投。艦長がジョン・F・ウォーリング中佐(アナポリス1935年組)に代わった。 マタ30船団攻撃でのスヌークの戦果は菊水丸の他、輸送船第一眞盛丸(原商事、5,878トン)および輸送船阿里山丸(三井船舶、6,886トン)の2隻も撃沈したと認定され、スヌークは3隻16,651トンと最も多くの戦果を挙げたとする。しかし、日本側記録とスヌークの記録を素直に信用するならば、第一眞盛丸の被雷と阿里山丸の被雷はそれぞれ24日昼ごろと24日夕方と記録されており、一方のスヌークは5時ごろの四度目の攻撃以降はアクションを起こしておらず、他に攻撃を行った4隻も両船の被雷時刻に戦闘行動を行っておらず、どちらもシャークの雷撃による戦果と思われる。 また、シードラゴンの戦果として認定されている陸軍徴傭船黒龍丸(大阪商船、7,369トン)の被攻撃時刻にシードラゴンがアクションを起こしておらず、ほぼ同じ時刻に「7,500トン級輸送船」に魚雷を2本命中させたスヌークこそが、黒龍丸を撃沈した真の潜水艦の可能性もある。なお、スヌークの戦時日誌記載の時刻と日本側時刻との時差は約1時間である。
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