第7の哨戒 1944年8月 - 9月
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「タニー (潜水艦)」の記事における「第7の哨戒 1944年8月 - 9月」の解説
8月4日、タニーは7回目の哨戒でクイーンフィッシュ (USS Queenfish, SS-393) およびバーブ (USS Barb, SS-220) とウルフパック Ed's Eradicators (エドのインク消し) を構成し南シナ海に向かった。例によってミッドウェー島で補給した後、8月25日に哨戒海域に到着。8月31日未明、タニーは北緯21度06分 東経121度30分 / 北緯21.100度 東経121.500度 / 21.100; 121.500の地点でミ15船団を発見し、僚艦クイーンフィッシュがタンカーを「美しく」攻撃する様子を見る。クイーンフィッシュ、バーブの攻撃が終わってタニーも攻撃準備に入ったが、護衛艦と上空の哨戒機の制圧を受けて魚雷を発射する機会を逸した。翌9月1日、タニーはルソン海峡を西に向かって航行していたが、午前中から航空機を発見したため潜航を繰り返す。昼過ぎに浮上すると、バーブと思われる潜水艦を遠方に発見し、交信を試みたが何ら音沙汰はなかった。夕刻、北緯21度50分 東経119度18分 / 北緯21.833度 東経119.300度 / 21.833; 119.300の地点でレーダーが航空機の接近を探知したため潜航を開始したが、間もなく2発の爆弾が船体後方でさく裂し、特に2発目の爆弾によって艦首は上方に8度突き出す形となった。b続いて投下されたもう2発の爆弾は回避したが、船体は約38メートル、約91メートルと沈下していった。爆撃を受けたから3時間後にレーダー深度まで戻り、20分後に浮上してバーブを呼び出した。タニーは後部を中心に軽視できない損傷をこうむっていたことが判明し、「エドのインク消し」から除外されることとなった。9月17日、タニーは44日間の行動を終えて真珠湾に帰投。ハンターズ・ポイント海軍造船所に回航されて修理とオーバーホールに入った。タニーは1945年1月に真珠湾に戻った。 なお、タニーを攻撃した航空機については、艦船研究家の木俣滋郎はヒ73船団に加わっていた空母雲鷹の搭載機であるとし、「タニーは爆撃で浮力の釣り合いがおかしくなって特設運送艦讃岐丸(日本郵船、7,158トン)の5メートル以内に、艦体の前部3分の1ほどを30度の角度をつけて浮上してしまったが、讃岐丸乗員が一瞬「降伏か」と思う間もなく再び水没した」としている。しかし、この記述は以下のことから正しくない。ヒ73船団が潜水艦に遭遇して対潜戦闘を行ったのは事実であり、タニーが被害を受けた9月1日にも午後に戦闘はあったが、その地点は北緯14度18分 東経114度39分 / 北緯14.300度 東経114.650度 / 14.300; 114.650であり、爆撃ではない。また、その前後にあたる8月31日午後に北緯17度56分 東経115度21分 / 北緯17.933度 東経115.350度 / 17.933; 115.350の地点で、また9月2日に北緯14度06分 東経113度08分 / 北緯14.100度 東経113.133度 / 14.100; 113.133の地点でそれぞれ対潜戦闘が行われている。ただし、この3つの戦闘はタニーが攻撃受けた地点とは大きく異なる地点で行われたものであり、タニーは雲鷹の搭載機ではない航空機によって損傷を受けた。「至近にタニーが一瞬浮上した」とされた讃岐丸の9月1日の記録にも、該当するものはない。
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