第7の哨戒 1945年6月 - 1945年8月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 16:24 UTC 版)
「アスプロ (潜水艦)」の記事における「第7の哨戒 1945年6月 - 1945年8月」の解説
6月25日、アスプロは7回目の哨戒で日本近海に向かった。7月8日に本州南東海域の哨区に着いたアスプロは、硫黄島から日本攻撃に向かう航空機の支援に従事した。7月25日、アスプロは500トンクラスのタグボートを発見して、結果的に最後となった雷撃を行い、タグボートを撃沈したと主張したが、戦後の調査では該当するものがなかった。8月3日、アスプロはB-17 とPB4Y-2 プライバティアの支援の下に相模湾の奥深くに進入し、日本機の妨害をかわしつつ撃墜されたパイロットを救出した。8月13日、アスプロは49日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。2日後、アスプロはここで日本の降伏を知った。
※この「第7の哨戒 1945年6月 - 1945年8月」の解説は、「アスプロ (潜水艦)」の解説の一部です。
「第7の哨戒 1945年6月 - 1945年8月」を含む「アスプロ (潜水艦)」の記事については、「アスプロ (潜水艦)」の概要を参照ください。
- 第7の哨戒 1945年6月 - 1945年8月のページへのリンク