第7の哨戒 1944年8月 - 10月
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「シャード (潜水艦)」の記事における「第7の哨戒 1944年8月 - 10月」の解説
8月12日、シャードは7回目の哨戒で日本近海に向かった。8月30日朝、シャードは北緯31度19分 東経140度28分 / 北緯31.317度 東経140.467度 / 31.317; 140.467の地点で2隻の小型哨戒艇によって護衛された2,000トン級輸送船団を発見し、魚雷を3本発射して1本命中させたと判断されたが、護衛艦の反撃を受けて退避せざるを得なかったため取り逃がした。9月3日にも北緯33度44分 東経136度06分 / 北緯33.733度 東経136.100度 / 33.733; 136.100の地点で4,500トン級輸送船と2隻の海上トラックからなる輸送船団を発見し、魚雷を2本発射して1本が命中したと判断される。9月14日には北緯34度34分 東経138度38分 / 北緯34.567度 東経138.633度 / 34.567; 138.633の駿河湾近海で4,200トン級輸送船と2隻の護衛艦を発見し、魚雷を3本発射したが命中しなかった。9月16日朝にも北緯34度33分 東経138度27分 / 北緯34.550度 東経138.450度 / 34.550; 138.450の地点で特設運送船筥崎丸(日本郵船、10,413トン)に対して魚雷を4本発射し、3本の魚雷が命中したと判断されたが、実際には筥崎丸に被害はなかった。この攻撃の後、護衛艦からの2時間の爆雷攻撃を受けたが、シャードはこれに耐えた。9月18日未明、シャードは北緯34度23分 東経138度30分 / 北緯34.383度 東経138.500度 / 34.383; 138.500の御前崎の南方で、2つの目標をレーダーで捕捉した。シャードはすぐに攻撃を行わず追跡を続け、9月19日に入って、相手は千鳥型水雷艇と思しき艦艇と小型艦と判断された。シャードは浮上して目標を追跡し、やがて潜航した。この目標、海防艦五百島と第47号駆潜艇はこの時、小笠原諸島防衛のための特殊潜航艇を輸送しており、五百島が特殊潜航艇を曳航していた。未明2時過ぎ、シャードは北緯33度40分 東経138度18分 / 北緯33.667度 東経138.300度 / 33.667; 138.300の地点で五百島に向けて魚雷を4本発射し、やがて3つの爆発音が聞こえる。シャードは目標がどうなったか観測しようとしたが、第47号駆潜艇がシャードの方に向かってきたので、深深度潜航で退避せざるを得なかった。爆雷による反撃を受けたが大したことはなく、五百島は5時2分に沈没した。9月21日には、北緯34度23分 東経139度43分 / 北緯34.383度 東経139.717度 / 34.383; 139.717の新島沖で特設掃海艇第二文丸(西大洋漁業、297トン)を発見し、魚雷を3本発射して1本を命中させて撃沈した。9月22日未明、シャードは北緯33度30分 東経139度47分 / 北緯33.500度 東経139.783度 / 33.500; 139.783の地点で、おそらく敵の潜水艦によって発射された2本の魚雷を巧みな操艦によってかわし、うち1本はシャードから18メートル離れた場所を通っていった。翌9月23日、北緯34度24分 東経138度35分 / 北緯34.400度 東経138.583度 / 34.400; 138.583の地点で1隻の輸送船と2隻の護衛艦からなる輸送船団を発見し、9月24日に入って北緯34度43分 東経139度04分 / 北緯34.717度 東経139.067度 / 34.717; 139.067の地点で中型輸送船に対して魚雷を4本発射し、1本が命中と判断された。この後台風に遭遇したが、乗り切った。10月1日、シャードは50日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。
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