第7の哨戒 1944年6月 - 8月
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「ティノサ (潜水艦)」の記事における「第7の哨戒 1944年6月 - 8月」の解説
6月7日、ティノサは7回目の哨戒で東シナ海に向かった。6月15日未明、ティノサは北緯29度35分 東経141度00分 / 北緯29.583度 東経141.000度 / 29.583; 141.000の地点で爆発音と砲声を聴取し、その方向にレーダーの手ごたえがあった。やがて輸送船団を発見し、魚雷を6本発射するも命中しなかった。6月18日午後には北緯33度45分 東経128度03分 / 北緯33.750度 東経128.050度 / 33.750; 128.050の五島列島沖合いで、3本マストを持つ150トン級のトロール船を発見し、ティノサは浮上して攻撃したが相手は意外としぶとく、ティノサは弾薬の無駄遣いを抑制するため油を浸したボロ布をいくつか投げつけ、さらに重油をかけた上で火を放つことで、ようやく撃沈することができた。6月22日夕刻にも北緯33度43分 東経127度44分 / 北緯33.717度 東経127.733度 / 33.717; 127.733の地点で50トン級サンパンを発見して機銃で撃ち沈めた。6月23日には僚艦シーライオン (USS Sealion, SS-315) およびタング (USS Tang, SS-306) と会合。3隻は福江島と甑島列島を結ぶ海域を新たな哨戒海域に設定した。7月3日夜半、ティノサは北緯32度25分 東経128度50分 / 北緯32.417度 東経128.833度 / 32.417; 128.833の五島列島南南西16キロ地点で門司に向かっていたタモ20B船団を発見。ティノサは艦尾発射管から魚雷を2本、艦首発射管から魚雷を4本発射し、魚雷は3本が貨客船賀茂丸(日本郵船、8,524トン)に命中してこれを撃沈。応急タンカー崑山丸(大連汽船、2,733トン)にも魚雷を命中させて撃沈した。7月10日には北緯32度12分 東経127度00分 / 北緯32.200度 東経127.000度 / 32.200; 127.000の地点で100トン級トロール船を撃沈した。7月30日、ティノサは54日間の行動を終えて真珠湾に帰投。西海岸のハンターズ・ポイント海軍造船所に回航されオーバーホールに入った。また、艦長がリチャード・C・リーサム少佐(アナポリス1934年組)に代わった。
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