第7の哨戒 1943年7月 - 8月
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「ソーリー (潜水艦)」の記事における「第7の哨戒 1943年7月 - 8月」の解説
7月13日、ソーリーは7回目の哨戒で日本近海に向かった。7月21日、第4エンジンの調子が再びおかしくなったが、哨戒は続けられた。エンジン不調と天候不良に哨戒海域への到着は遅れたが、硫黄島と沖縄島の中間点に来た7月30日の夜22時25分ごろ、ソーリーはこの哨戒で最初の接触を得た。目標は2隻の大型艦、それに駆逐艦だと判断され、ソーリーは7月31日3時3分に潜航。3時25分、ソーリーは攻撃態勢に入ったが艦位を保てず、その復旧を行っている間に目標は通過していった。3時38分、聴音で180度の方向に敵がいることが淡かった。しかし、潜望鏡で観測しても駆逐艦の存在は不明だった。ドロップ艦長は深深度潜航を下令したが、間もなく2つの衝撃がソーリーをゆるがせた。その後も5発の爆雷攻撃を受け、ソーリーは水深60メートルで東に向かって逃げた。20時20分に浮上して調査すると、潜望鏡支柱が右舷側にひどく捻じ曲げられ、潜望鏡もレーダーも使用不能となっており、ソーリーは闇夜に放り出された感じとなった。哨戒は打ち切られ、仮修理の後8月1日4時3分に哨戒海域を離れた。この哨戒では、駆逐艦に打撃を与えたと評価された。ソーリーは8月8日にミッドウェー島に寄港。8月12日、ソーリーは30日間の行動を終えて真珠湾に帰投。修理と改装が行われ、司令塔と潜望鏡支柱、レーダーが新調された。また、第4エンジンも換装された。これらの作業は10月4日までには終わった。
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