第7の哨戒 1943年7月 - 8月とは? わかりやすく解説

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第7の哨戒 1943年7月 - 8月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/10 21:20 UTC 版)

ソーリー (潜水艦)」の記事における「第7の哨戒 1943年7月 - 8月」の解説

7月13日ソーリー7回目哨戒日本近海向かった7月21日、第4エンジン調子が再びおかしくなったが、哨戒続けられた。エンジン不調天候不良哨戒海域への到着遅れたが、硫黄島沖縄島中間点に来た7月30日の夜2225分ごろ、ソーリーはこの哨戒最初の接触得た目標は2隻の大型艦、それに駆逐艦だと判断されソーリー7月31日3時3分に潜航3時25分、ソーリー攻撃態勢入ったが艦位を保てず、その復旧行っている間に目標通過していった。3時38分、聴音で180度の方向敵がいることが淡かった。しかし、潜望鏡観測して駆逐艦存在不明だったドロップ艦長深深潜航下令したが、間もなく2つ衝撃ソーリーゆるがせた。その後も5発の爆雷攻撃を受け、ソーリー水深60メートルで東に向かって逃げた2020分に浮上して調査すると、潜望鏡支柱右舷側にひどく捻じ曲げられ潜望鏡レーダー使用不能となっており、ソーリー闇夜放り出され感じとなった哨戒打ち切られ、仮修理の後8月1日4時3分に哨戒海域離れた。この哨戒では、駆逐艦打撃与えた評価された。ソーリー8月8日ミッドウェー島寄港8月12日ソーリー30日間行動終えて真珠湾帰投修理改装が行われ、司令塔潜望鏡支柱レーダー新調された。また、第4エンジン換装された。これらの作業10月4日までには終わった

※この「第7の哨戒 1943年7月 - 8月」の解説は、「ソーリー (潜水艦)」の解説の一部です。
「第7の哨戒 1943年7月 - 8月」を含む「ソーリー (潜水艦)」の記事については、「ソーリー (潜水艦)」の概要を参照ください。

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