第7の哨戒 1943年1月 - 3月
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「スレッシャー (潜水艦)」の記事における「第7の哨戒 1943年1月 - 3月」の解説
1月25日、スレッシャーは7回目の哨戒でジャワ海方面に向かった。2月14日11時ごろ、スレッシャーは南緯06度05分 東経105度46分 / 南緯6.083度 東経105.767度 / -6.083; 105.767の小スンダ列島海域で伊162を発見。魚雷2本を発射したが、1本は命中せず、もう1本は海底に当たって爆発した。スレッシャーは浮上し伊162と浮上砲戦を交わしたが、伊162は水平線上から去っていった。2月21日、スレッシャーは南緯06度30分 東経110度30分 / 南緯6.500度 東経110.500度 / -6.500; 110.500の地点で2隻の護衛艦に護衛された3隻の輸送船団を発見。陸軍輸送船桑山丸(山下汽船、5,724トン)に向けて魚雷を2本発射し、1本が船尾に命中した。スレッシャーは13発の爆雷を避けた後、桑山丸が航行不能の状態になり、ボートで人員を運び出している姿を観測。その後、護衛艦に注意しつつ2回目の攻撃を行い、避退中に2度の大爆発を確認した。翌2月22日、スレッシャーは依然として漂流していた桑山丸に止めを刺し、桑山丸はワシントンの誕生日を祝うが如く船体をV字に折って3分で沈んでいった。3月2日、スレッシャーは南緯03度28分 東経117度23分 / 南緯3.467度 東経117.383度 / -3.467; 117.383の地点で貨物船とタンカー東園丸(岡田商船、5,232トン)を発見し魚雷を発射。1本は東園丸に命中してこれを撃沈し、貨物船は雷跡を見て回避した。付近にいた護衛艦が接近してきたので、スレッシャーはこれ以上の攻撃を諦めた。3月10日、スレッシャーは45日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。ミリカン艦長は帰投後、潜水艦隊司令官ラルフ・W・クリスティ(英語版)少将に伊162を取り逃がした件を切り出し、魚雷の欠陥について不平を述べたが、クリスティ少将はあまり相手にしなかった。このあと、艦長がハリー・フル少佐(アナポリス1932年組)に代わった。
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