第7の哨戒 1943年1月 - 3月とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 第7の哨戒 1943年1月 - 3月の意味・解説 

第7の哨戒 1943年1月 - 3月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 16:03 UTC 版)

スレッシャー (潜水艦)」の記事における「第7の哨戒 1943年1月 - 3月」の解説

1月25日スレッシャー7回目哨戒ジャワ海方面向かった2月14日11時ごろ、スレッシャー南緯0605東経10546分 / 南緯6.083度 東経105.767度 / -6.083; 105.767の小スンダ列島海域伊162発見魚雷2本を発射したが、1本は命中せず、もう1本は海底当たって爆発したスレッシャー浮上し伊162浮上砲戦交わしたが、伊162水平線上から去っていった。2月21日スレッシャー南緯0630東経110度30分 / 南緯6.500度 東経110.500度 / -6.500; 110.500の地点で2隻の護衛艦護衛された3隻の輸送船団発見陸軍輸送船桑山丸(山下汽船、5,724トン)に向けて魚雷を2本発射し、1本が船尾命中したスレッシャー13発の爆雷避けた後、桑山丸が航行不能の状態になり、ボート人員運び出している姿を観測その後護衛艦注意しつつ2回目攻撃行い避退中に2度の大爆発確認した。翌2月22日スレッシャー依然として漂流していた桑山丸に止め刺し桑山丸はワシントン誕生日を祝うが如く船体V字折って3分で沈んでいった。3月2日スレッシャー南緯0328東経11723分 / 南緯3.467度 東経117.383度 / -3.467; 117.383の地点貨物船タンカー東園丸(岡田商船、5,232トン)を発見し魚雷発射。1本は東園丸に命中してこれを撃沈し貨物船跡を見て回避した付近にいた護衛艦接近してきたので、スレッシャーこれ以上攻撃諦めた3月10日スレッシャー45日間行動終えてフリーマントル帰投ミリカン艦長帰投後、潜水艦隊司令官ラルフ・W・クリスティ英語版少将伊162取り逃がした件を切り出し魚雷欠陥について不平述べたが、クリスティ少将はあまり相手にしなかった。このあと艦長がハリー・フル少佐アナポリス1932年組)に代わった。

※この「第7の哨戒 1943年1月 - 3月」の解説は、「スレッシャー (潜水艦)」の解説の一部です。
「第7の哨戒 1943年1月 - 3月」を含む「スレッシャー (潜水艦)」の記事については、「スレッシャー (潜水艦)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第7の哨戒 1943年1月 - 3月」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第7の哨戒 1943年1月 - 3月」の関連用語

第7の哨戒 1943年1月 - 3月のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第7の哨戒 1943年1月 - 3月のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのスレッシャー (潜水艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS