第5、第6、第7の哨戒 1942年11月 - 1943年5月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/26 20:37 UTC 版)
「ガー (潜水艦)」の記事における「第5、第6、第7の哨戒 1942年11月 - 1943年5月」の解説
11月28日、ガーは5回目の哨戒でマニラ湾近海に向かった。12月8日、ガーは北緯00度52分 東経118度54分 / 北緯0.867度 東経118.900度 / 0.867; 118.900の地点でHeinan Maru(不詳、661トン)に対して魚雷を6本発射し、次いで海岸まで追いかけて砲撃により破壊した。コレヒドール島、バターン半島沖およびルソン島西岸を往復して哨戒し、12月20日には北緯00度52分 東経118度54分 / 北緯0.867度 東経118.900度 / 0.867; 118.900のボリナオ(英語版)沖で第827船団を発見して魚雷を3本発射したが、命中しなかった。1943年1月1日、ガーは北緯14度30分 東経115度43分 / 北緯14.500度 東経115.717度 / 14.500; 115.717のマニラ湾口で第829船団を発見し、魚雷を発射して5,000トン級輸送船を撃沈したと判断したが、実際には回避されていた。1月9日には、北緯01度46分 東経119度01分 / 北緯1.767度 東経119.017度 / 1.767; 119.017のマカッサル海峡で水上機母艦能登呂に魚雷を命中させて撃破した。1月19日、ガーは53日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 2月9日、ガーは6回目の哨戒で南シナ海に向かった。2月22日、ガーはバラバク海峡で、高速で航行するタンカーを発見。3月8日にはマニラ近海で輸送船団を発見したが、哨戒機の接近により攻撃できなかった。ガーはこの他にもいくつかの目標に接触したものの、やはり哨戒機と哨戒艦艇による警戒が厳重なため、攻撃をすることが出来なかった。3月17日から21日まではミリを偵察した。4月2日、ガーは53日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 4月23日、ガーは7回目の哨戒でマニラ近海に向かった。5月9日、ガーはネグロス島南東海域で特設砲艦阿蘇丸(関西汽船、703トン)を撃沈。5月15日には北緯13度10分 東経121度50分 / 北緯13.167度 東経121.833度 / 13.167; 121.833のボアク島南西海域でパラオからマニラに向かう第3207船団を発見。11時16分ごろにまず陸軍輸送船明海丸(明治海運、3,197トン)に魚雷1本を命中させて撃沈。約1時間後の12時21分ごろに陸軍輸送船いんだす丸(大阪商船、4,361トン)にも魚雷1本を命中させて撃沈した。この他、ガーはこの哨戒で6隻の小型船舶を浮上砲戦で撃沈した。5月27日、ガーは34日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
※この「第5、第6、第7の哨戒 1942年11月 - 1943年5月」の解説は、「ガー (潜水艦)」の解説の一部です。
「第5、第6、第7の哨戒 1942年11月 - 1943年5月」を含む「ガー (潜水艦)」の記事については、「ガー (潜水艦)」の概要を参照ください。
- 第5、第6、第7の哨戒 1942年11月 - 1943年5月のページへのリンク