第5、第6、第7の哨戒 1942年10月 - 1943年5月
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「スティングレイ (潜水艦)」の記事における「第5、第6、第7の哨戒 1942年10月 - 1943年5月」の解説
10月26日、スティングレイは5回目の哨戒でソロモン諸島方面に向かった。ブーゲンビル島近海で哨戒し、輸送船団や艦艇などを発見した。11月21日朝、スティングレイはショートランド近海で特設水上機母艦山陽丸(大阪商船、8,360トン)に魚雷を命中させて撃破した。12月20日、スティングレイは55日間の行動を終えて真珠湾に帰投。艦長がオーティス・J・アール少佐(アナポリス1930年組)に代わった。 1943年1月12日、スティングレイは6回目の哨戒でマーシャル諸島、トラック諸島方面に向かった。しかし、この哨戒でも接触の機会はあれど、攻撃の機会はなかった。3月8日、スティングレイは55日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 4月2日、スティングレイは7回目の哨戒で東シナ海に向かった。この哨戒では、機雷敷設の任務も与えられていた。4月21日と22日の2日間にわたって、スティングレイは温州沖に機雷を敷設。5月2日には、北緯27度18分 東経121度38分 / 北緯27.300度 東経121.633度 / 27.300; 121.633の地点で第257船団を発見して攻撃し、輸送船多聞丸(八馬汽船、8,256トン)を浮上したまま雷撃して撃沈した。5月17日、スティングレイは46日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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