第5、第6、第7の哨戒 1943年6月 - 11月
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「ハダック (潜水艦)」の記事における「第5、第6、第7の哨戒 1943年6月 - 11月」の解説
6月30日、ハダックは5回目の哨戒でパラオ方面に向かった。7月21日午後、ハダックは北緯16度29分 東経133度57分 / 北緯16.483度 東経133.950度 / 16.483; 133.950のパラオ北方980キロの地点でオ505船団を発見。いずれもが6,000トンを超える大型船であると判断したハダックは、そのうちの3隻を目標に船団の後方から魚雷を6本発射し、1本が貨客船サイパン丸(日本郵船、5,532トン)の船尾に命中。ハダックは次の攻撃目標を4番目の船舶に定め、魚雷を2本発射。間を置かず最初に攻撃した3隻の目標に対しても魚雷を計4本発射。全ての目標に魚雷が命中したものと判断されたが、沈没したのはサイパン丸だけであり、12時38分に2本目の魚雷、12時45分に3本目の魚雷がそれぞれ命中して止めを刺された。反撃もあったが微々たる物であり、ハダックは浮上してスコールの中を追撃したが、やがてオ505船団は彼方に消え去った。ハダックは7月26日午後にも、北緯02度52分 東経137度40分 / 北緯2.867度 東経137.667度 / 2.867; 137.667の地点で2隻の10,000トン級タンカーを発見する。相手はジグザグ航行をしていたが徐々に間を詰めていき、2隻の目標に対して魚雷を2本ずつ発射。そのうちの1本が命中して「タンカー1隻撃破」と判定された。しかし相手は高速で逃げる態勢を見せたため、ハダックは追跡を行った末に夜に入って魚雷を4本発射したが、魚雷は命中しなかった。相手は備砲で反撃を開始するがハダックは怯まず日をまたいで追跡を続ける。7月27日未明、ハダックは二度にわたり魚雷を計6本発射するがこれも命中せず、目標を最初に発見した地点から約269マイル(約433キロ)離れた北緯04度59分 東経139度04分 / 北緯4.983度 東経139.067度 / 4.983; 139.067の地点まで延々と続いた攻防戦は、ハダックが目標に振り切られる形で終わった。8月6日にミッドウェー島に寄港。8月10日、ハダックは41日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 9月2日、ハダックは6回目の哨戒でトラック方面に向かった。9月15日夜、ハダックは北緯09度32分 東経150度38分 / 北緯9.533度 東経150.633度 / 9.533; 150.633のトラック北方で4,000トン級輸送船を発見し、日付が9月16日になってすぐに魚雷を4本発射して2本を命中させる。続いて魚雷をもう2本発射したが命中せず、やがて爆雷攻撃が行われたが、9発投じられた所で攻撃は終わった。9月20日夜には北緯07度36分 東経150度10分 / 北緯7.600度 東経150.167度 / 7.600; 150.167のトラックの西方100海里の地点で、「第二図南丸級タンカー」に擬せられた水上機母艦能登呂に対して魚雷を6本発射して少なくとも能登呂の前部と中部および後部に1本ずつ命中し、能登呂は火災も発生させたが撃沈することはできなかった。能登呂に対する攻撃から間もない9月21日未明、今度は北緯07度56分 東経150度32分 / 北緯7.933度 東経150.533度 / 7.933; 150.533の地点で2隻の駆逐艦に護衛された「10,000トン級輸送船」2隻で構成された第4920船団をレーダーで探知し、最初の目標に対して魚雷を4本発射したが命中しなかった。明け方に一旦追跡は中止されたが、昼ごろには北緯08度11分 東経149度31分 / 北緯8.183度 東経149.517度 / 8.183; 149.517の地点で再び第4920船団を発見し、浮上して追跡の上、夕方になって北緯08度53分 東経148度30分 / 北緯8.883度 東経148.500度 / 8.883; 148.500の地点で魚雷を艦首と艦尾の発射管からそれぞれ4本発射し、そのうちの1本が特設運送船(給炭)新夕張丸(北海道炭礦汽船、5,355トン)に命中してこれを撃破した。これらの攻撃で魚雷を使い尽くしたハダックは哨戒を切り上げた。9月28日、ハダックは27日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。 10月20日、ハダックは7回目の哨戒でトラック諸島方面に向かった。11月1日夕刻、ハダックは北緯09度19分30秒 東経150度29分00秒 / 北緯9.32500度 東経150.48333度 / 9.32500; 150.48333の地点で輸送船団を探知し、日本側の攻撃回避パターンを読みきった上で2つの目標に対して魚雷を計6本発射し、うち3本が最初の目標に命中したと判断された。翌11月2日夜にも駆逐艦に対して魚雷を4本発射し、1本が命中したものと判断される。11月4日に北緯08度07分30秒 東経150度49分30秒 / 北緯8.12500度 東経150.82500度 / 8.12500; 150.82500の地点で病院船を確認した後、11月5日夜には北緯08度08分 東経149度45分 / 北緯8.133度 東経149.750度 / 8.133; 149.750の地点で2隻の10,000トン級タンカーを発見し、追跡して攻撃位置についた後タンカーに対して魚雷を3本発射し、次いで護衛艦に対して魚雷を4本発射するが、この時の攻撃は成功しなかった。1時間後、再度タンカーに対して魚雷を4本発射し、うち3本が特設運送船(給油)宝洋丸(日東汽船、8,691トン)に命中してを大破させた。ハダックはこの攻撃を魚雷を使いきった。11月15日、ハダックは27日間の行動を終えて真珠湾に帰投。艦長がジョン・P・ローチ少佐(アナポリス1932年組)に代わった。
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