第5、第6、第7の哨戒 1943年6月 - 11月とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 第5、第6、第7の哨戒 1943年6月 - 11月の意味・解説 

第5、第6、第7の哨戒 1943年6月 - 11月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/22 18:33 UTC 版)

ハダック (潜水艦)」の記事における「第5、第6、第7の哨戒 1943年6月 - 11月」の解説

6月30日ハダック5回目哨戒パラオ方面向かった7月21日午後ハダック北緯1629東経13357分 / 北緯16.483度 東経133.950度 / 16.483; 133.950のパラオ北方980キロ地点でオ505船団発見いずれもが6,000トン超える大型船であると判断したハダックは、そのうちの3隻を目標船団後方から魚雷を6本発射し、1本が貨客船サイパン丸日本郵船、5,532トン)の船尾命中ハダック次の攻撃目標4番目の船舶定め魚雷を2本発射間を置かず最初に攻撃した3隻の目標に対して魚雷を計4本発射全ての目標魚雷命中したものと判断されたが、沈没したのはサイパン丸だけであり、12時38分に2本目魚雷12時45分3本目の魚雷それぞれ命中して止め刺された。反撃もあったが微々たる物であり、ハダック浮上してスコールの中を追撃したが、やがてオ505船団彼方に消え去ったハダック7月26日午後にも、北緯0252東経13740分 / 北緯2.867度 東経137.667度 / 2.867; 137.667の地点で2隻の10,000トンタンカー発見する相手ジグザグ航行をしていたが徐々に間を詰めていき、2隻の目標に対して魚雷を2本ずつ発射そのうちの1本が命中してタンカー1隻撃破」と判定された。しかし相手高速逃げ態勢見せたため、ハダック追跡行った末に夜に入って魚雷を4本発射したが、魚雷命中しなかった。相手備砲反撃開始するハダックは怯まず日をまたいで追跡続ける。7月27日未明ハダック二度にわたり魚雷を計6本発射するがこれも命中せず目標最初に発見した地点から約269マイル(約433キロ離れた北緯0459東経13904分 / 北緯4.983度 東経139.067度 / 4.983; 139.067の地点まで延々と続いた攻防戦は、ハダック目標振り切られる形で終わった8月6日ミッドウェー島寄港8月10日ハダック41日間行動終えて真珠湾帰投した。 9月2日ハダック6回目哨戒トラック方面向かった9月15日夜、ハダック北緯0932東経15038分 / 北緯9.533度 東経150.633度 / 9.533; 150.633のトラック北方で4,000トン輸送船発見し日付9月16日になってすぐに魚雷を4本発射して2本を命中させる続いて魚雷をもう2本発射した命中せず、やがて爆雷攻撃が行われたが、9発投じられた所で攻撃終わった9月20日夜に北緯0736東経15010分 / 北緯7.600度 東経150.167度 / 7.600; 150.167のトラック西方100海里地点で、「第二図南丸タンカー」に擬せられた水上機母艦能登呂に対して魚雷を6本発射して少なくとも能登呂前部中部および後部に1本ずつ命中し能登呂火災発生させたが撃沈することはできなかった。能登呂対す攻撃から間もない9月21日未明今度北緯0756東経15032分 / 北緯7.933度 東経150.533度 / 7.933; 150.533の地点で2隻の駆逐艦護衛された「10,000トン輸送船」2隻で構成された第4920船団レーダー探知し最初目標に対して魚雷を4本発射した命中しなかった。明け方に一旦追跡中止されたが、昼ごろには北緯0811東経14931分 / 北緯8.183度 東経149.517度 / 8.183; 149.517の地点で再び第4920船団発見し浮上して追跡の上夕方になって北緯0853東経14830分 / 北緯8.883度 東経148.500度 / 8.883; 148.500の地点魚雷艦首艦尾発射管からそれぞれ4本発射しそのうちの1本が特設運送船給炭)新夕張丸(北海道炭礦汽船、5,355トン)に命中してこれを撃破した。これらの攻撃魚雷使い尽くしたハダック哨戒切り上げた9月28日ハダック27日間の行動終えてミッドウェー島帰投した。 10月20日ハダック7回目哨戒トラック諸島方面向かった11月1日夕刻ハダック北緯091930秒 東経1502900秒 / 北緯9.32500度 東経150.48333度 / 9.32500; 150.48333の地点輸送船団探知し日本側の攻撃回避パターン読みきった上で2つ目標に対して魚雷を計6本発射し、うち3本最初目標命中した判断された。翌11月2日夜に駆逐艦に対して魚雷を4本発射し、1本が命中したものと判断される11月4日北緯080730秒 東経1504930秒 / 北緯8.12500度 東経150.82500度 / 8.12500; 150.82500の地点病院船確認した後、11月5日夜に北緯0808東経14945分 / 北緯8.133度 東経149.750度 / 8.133; 149.750の地点で2隻の10,000トンタンカー発見し追跡して攻撃位置についたタンカーに対して魚雷3本発射し次いで護衛艦に対して魚雷を4本発射するが、この時の攻撃成功しなかった。1時間後、再度タンカーに対して魚雷を4本発射し、うち3本特設運送船給油)宝洋丸(日東汽船、8,691トン)に命中して大破させた。ハダックはこの攻撃魚雷使いきった。11月15日ハダック27日間の行動終えて真珠湾帰投艦長ジョン・P・ローチ少佐アナポリス1932年組)に代わった。

※この「第5、第6、第7の哨戒 1943年6月 - 11月」の解説は、「ハダック (潜水艦)」の解説の一部です。
「第5、第6、第7の哨戒 1943年6月 - 11月」を含む「ハダック (潜水艦)」の記事については、「ハダック (潜水艦)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第5、第6、第7の哨戒 1943年6月 - 11月」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第5、第6、第7の哨戒 1943年6月 - 11月」の関連用語

第5、第6、第7の哨戒 1943年6月 - 11月のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第5、第6、第7の哨戒 1943年6月 - 11月のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのハダック (潜水艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS