第5、第6の哨戒 1944年7月 - 12月
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「レイトン (潜水艦)」の記事における「第5、第6の哨戒 1944年7月 - 12月」の解説
7月18日、レイトンは5回目の哨戒で南シナ海およびルソン島方面に向かった。8月4日、レイトンは北緯16度01分 東経119度43分 / 北緯16.017度 東経119.717度 / 16.017; 119.717のダソル(英語版)沖で、ミ11船団に加入中の7月31日に攻撃を受けて損傷し、ダソルに避難していたタンカー第一小倉丸(日本油槽船、7,270トン)を発見して魚雷を4本発射し、1本が命中したように感じられたものの、空からの反撃を立て続けに受けたため最終的な成果は確認できなかった。8月7日朝には北緯16度27分 東経117度18分 / 北緯16.450度 東経117.300度 / 16.450; 117.300の地点でミ13船団を発見し、魚雷を3本ずつ計6本発射したが目立った成果はなかった。9月10日、レイトンは55日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 10月6日、レイトンは6回目の哨戒で南シナ海に向かった。10月18日夜、レイトンが北緯14度44分 東経118度49分 / 北緯14.733度 東経118.817度 / 14.733; 118.817の地点で浮上してみると、マニラから退避する輸送船団の真っ只中にいた。ブルーギル (USS Bluegill, SS-242) を呼び出して攻撃に加わらせるとともに、レイトンは艦首と艦尾の両方の魚雷発射管を使って攻撃することとした。日付が10月19日に変わってからも魚雷を4本と6本発射。一連の攻撃で、陸軍輸送船白根山丸(三井船舶、4,739トン)と輸送船台海丸(明治海運、3,812トン)を撃沈した。その後、レイトンは台風に遭遇し、また魚雷も不足したのでミオス・ウンディ島の泊地に一旦戻ることとした。10月27日に燃料と魚雷を補給したレイトンはミオス・ウンディ島を離れ、哨戒を再開した。11月4日、レイトンは北緯15度55分 東経119度44分 / 北緯15.917度 東経119.733度 / 15.917; 119.733のダソル沖でタマ31号船団を発見し、特設運送船香久丸(大阪商船、6,806トン)に対して魚雷を6本発射するが、命中しなかった。香久丸は間もなく、ブリーム (USS Bream, SS-243) 、ギターロ (USS Guitarro, SS-363) およびレイ (USS Ray, SS-271) の攻撃で沈没して戦果は三等分された。2日後の11月6日にはサンタクルーズ(英語版)沖で、重巡洋艦熊野および青葉の2隻を含むマタ31船団を発見し、ギターロ、ブリームの攻撃のものと思しき魚雷命中音と爆雷攻撃の音を聞きつつ魚雷を6本発射。魚雷は熊野に2本か3本が命中したと判断される。しかし、熊野の様子にはあまり変化は見られなかった。11月14日午後、レイトンは3隻の輸送船を発見し、相前後してレイおよびバットフィッシュ (USS Batfish, SS-310) からの接触報告に基づいて目標に接近していく。夜に入り、レイトンは北緯17度48分 東経117度57分 / 北緯17.800度 東経117.950度 / 17.800; 117.950の地点でレイとともに目指すマタ32船団を発見し、まずレイが第7号海防艦を撃沈。次いでレイトンが魚雷を4本発射して輸送船第五雲海丸(中村汽船、2,841トン)に魚雷3本を命中させて撃沈した。日付が11月15日になった直後の0時25分には、北緯17度27分 東経117度43分 / 北緯17.450度 東経117.717度 / 17.450; 117.717の地点で魚雷を4本発射し、特務艦鞍埼に2本命中させて撃沈した。その後、レイトンはレイとともに残った獲物がないか捜索したが、結局何も見つからなかった。レイトンは魚雷を4本残してアメリカ本国に向かった。12月1日、レイトンは55日間の行動を終えて真珠湾に帰投。サンフランシスコ海軍造船所およびメア・アイランド海軍造船所に回航されてオーバーホールに入った。1945年3月13日、オーバーホールが終わったレイトンは真珠湾に向かった。
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