第5、第6の哨戒 1944年6月 - 11月とは? わかりやすく解説

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第5、第6の哨戒 1944年6月 - 11月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/05 21:27 UTC 版)

セロ (潜水艦)」の記事における「第5、第6の哨戒 1944年6月 - 11月」の解説

6月26日セロ5回目哨戒フィリピン方面向かった7月1日セロ北緯0515分 東経12538分 / 北緯5.250度 東経125.633度 / 5.250; 125.633の地点ダバオからタラカン島回航途中戦艦扶桑駆逐艦朝雲満潮野分発見するが、約22,000ヤード(約20キロ)まで接近するのが精一杯だった。7月22日には北緯0510東経12837分 / 北緯5.167度 東経128.617度 / 5.167; 128.617の地点で1,000トン小型輸送船護衛艦発見し夜に入って魚雷を6本発射した命中しなかった。8月5日セロ北緯0553東経12541分 / 北緯5.883度 東経125.683度 / 5.883; 125.683のダバオ・デル・スル州カヤポンガ北東20キロダバオ湾(英語版)口で特務艦鶴見中心とする輸送船団発見しセロ船団東側に見る体勢襲撃運動を開始1113分に鶴見に対して魚雷を6本発射し、うち4本が鶴見命中して1130分に横転沈没した8月20日セロ56日間行動終えてブリスベン帰投した。この後セロ9月13日ブリスベン出港し9月18日ダーウィン到着した9月19日セロ6回目哨戒ミンダナオ島方面向かった10月17日セロ第一特殊任務のためビアク島南東ミオス・ウンディ島立ち寄り16名の陸軍兵士17トン物資、2名の海軍士官受け入れた。これら兵員物資は、ルソン島西岸部中のうち北緯164904東経1201900秒 / 北緯16.81778度 東経120.31667度 / 16.81778; 120.31667のダリガヨス入り江と、北緯171702東経1202405秒 / 北緯17.28389度 東経120.40139度 / 17.28389; 120.40139のサンチャゴ・カーヴ、北緯15度0105東経1213205秒 / 北緯15.01806度 東経121.53472度 / 15.01806; 121.53472のルソン島東部マサンガ河口付近の3箇所揚陸することになっていた。折りしもレイテ沖海戦直前であり、セロギターロ (USS Guitarro, SS-363) が接触した栗田健男中将艦隊に関する情報受信しつつ、目的地へと向かう。10月25日朝、セロ第一目的地であるダリガヨス入り江到着するが、合図信号が見つからなかった上に日が昇って日本の航空機の姿がいくつか見受けられるようになったセロ潜航して機をうかがい夜になって浮上して所を変えて揚陸試みた上手くゆかず、やがてコッド (USS Cod, SS-224) が海軍徴傭浅間丸日本郵船16,975トン)などを含んだモマ04船団発見したため、特殊任務中断してその迎撃へと向かったが、モマ04船団対す攻撃出来なかった。10月26日夜と10月27日夜に揚陸のための接触試みるが、後者では機をうかがっている時に北緯1658東経12018分 / 北緯16.967度 東経120.300度 / 16.967; 120.300の地点で2隻の100トン海上トラック出現しセロは4インチ砲と40ミリ機関砲20ミリ機銃命中弾を与えて座礁させた。10月28日至って接触できなかったため、セロ第二目的地であるサンチャゴ・カーヴに移動することとなった10月29日朝にサンチャゴ・カーヴに到着したセロは早速信号取り交わすが、陸上側ではプランとは違う信号出したり、現地人間海岸出てきてセロをただ観察するのみだった。翌10月30日朝にも接触試みるが成功せず損傷した10,000トン輸送船中心とする輸送船団攻撃移った夜に接触試みた応答はなく、セロ第三目的地であるマサンガ河口向かった11月2日夜にマサンガ河口到着し、この時は現地ゲリラとの接触上手く行き兵士物資無事に揚陸その代わりに3人の兵員1人の子供を引き取った。4人の内訳次のとおり。 空母プリンストン (USS Princeton, CVL-23) 乗り組みで、9月21日戦闘墜落してルソン島北部着地したウィリアム・ランブ大尉 空母イントレピッド (USS Intrepid, CV-11) 乗り組みで、10月29日戦闘墜落してルソン島東部着地したダン・ノートン少尉 開戦劈頭フィリピンの戦い日本軍捕虜となり、1944年脱獄したアール・スチール陸軍上等兵 「ジェームス・バーネット中佐息子」と名乗る12歳の子任務終了後セロ11月3日に「日本の呂号潜水艦」から雷撃受けた回避した11月4日ルソン海峡到達し11月14日サイパン島タナパグ湾(英語版)に寄港11月24日セロ62日間行動終えて真珠湾帰投メア・アイランド海軍造船所オーバーホール入ったまた、艦長がレイモンド・バートン少佐アナポリス1938年組)に代わった。オーバーホール終えたセロ1945年3月18日真珠湾戻った

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第5、第6の哨戒 1944年6月 - 11月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:38 UTC 版)

シーホース (潜水艦)」の記事における「第5、第6の哨戒 1944年6月 - 11月」の解説

6月3日シーホース5回目哨戒ルソン海峡方面向かったフィリピンの東側を通って担当海域向かったが、この頃マリアナ諸島対すアメリカ軍反攻作戦が行われつつあった。複数の他の潜水艦報告によって確認された、フィリピン南西部タウィタウィ在泊中の日本海軍機動部隊動向アメリカ軍注目の的であり、シーホース航行中海域にも艦隊出現する可能性は十分あった。6月15日1845分北緯0930東経12849分 / 北緯9.500度 東経128.817度 / 9.500; 128.817のスリガオ海峡東方200海里沖を北上中だったシーホース見張り員は、水平線上に煙を発見した。これは、第3次渾作戦打ち切って小沢治三郎中将率い機動部隊合流せんと航行中戦艦大和武蔵重巡妙高羽黒以下の艦隊であったシーホースはただちに浮上して20ノット速度艦隊追跡した。ところが、艦隊までの距離が17,000メートルにまで接近した23時ごろ、シーホース主電動機1基がスパーク起こしてダウンしシーホース直ち速力14ノットに落とさなければならなかった。その結果艦隊との距離は広がっていき、いつしか見えなくなった。それでも、6月16日3時に「日本艦隊発見」を司令部通報したが、ジャミング受けたその後シーホース担当海域到着6月27日早朝には北緯2110東経12031分 / 北緯21.167度 東経120.517度 / 21.167; 120.517の台湾南方マタ23船団発見しタンカーめだん丸(三菱汽船、5,135トン)を撃沈した7月3日にも、香港南方日東丸(東亜海運、2,186トン)、第二十八共同丸(東亜海運、1,518トン)、暁勇丸(拿捕船、元イギリス船ジョアン・モラー、2,232トン)の3隻の輸送船立て続け撃沈シーホースは、この攻撃魚雷使い切った7月19日シーホース47日間行動終えて真珠湾帰投艦長チャールズ・W・ウィルキンスアナポリス1924年組)に代わった。 8月21日シーホース6回目哨戒ルソン海峡方面向かったパラオフィリピン方面攻撃する第38任務部隊マーク・ミッチャー中将)に対す支援従事した後、担当海域到着10月6日シーホース北緯1948東経11822分 / 北緯19.800度 東経118.367度 / 19.800; 118.367の地点でヒ77船団発見しウルフパック僚艦ホエール (USS Whale, SS-239) とともに攻撃ホエールタンカーあかね丸石原汽船10,241トン)を撃沈しシーホース第21号海防艦撃沈したその後、再び第38任務部隊対す支援従事11月1日シーホース71日間行動終えて真珠湾帰投メア・アイランド海軍造船所回航されてオーバーホール入ったこの間に、艦長ハリー・H・グリアー・ジュニア(アナポリス1934年組)に代わった。オーバーホール1945年2月10日終わり2月18日真珠湾到着した

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