第5、第6の哨戒 1943年5月 - 9月
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「フィンバック (潜水艦)」の記事における「第5、第6の哨戒 1943年5月 - 9月」の解説
5月12日、フィンバックは5回目の哨戒でパラオ方面に向かった。5月27日未明、フィンバックは北緯08度28分 東経134度06分 / 北緯8.467度 東経134.100度 / 8.467; 134.100のパラオ北方海域で、舵機故障によりK519船団から脱落した陸軍輸送船高知丸(摂津商船、2,910トン)に対して魚雷を3本発射し、1本を命中させて撃沈。6月2日明け方には、前日から北緯07度24分 東経138度07分 / 北緯7.400度 東経138.117度 / 7.400; 138.117の地点より追跡を続けた輸送船団に対し、北緯07度11分 東経134度45分 / 北緯7.183度 東経134.750度 / 7.183; 134.750の地点で魚雷を3本発射し、1本が命中したと判断される。6月8日には北緯09度08分 東経134度04分 / 北緯9.133度 東経134.067度 / 9.133; 134.067のパラオ沖で水雷艇鳩と第31号哨戒艇に護衛されたP607船団を発見し、計6本の魚雷を発射して特設運送艦河北丸(日本海汽船、3,350トン)に1本命中させてこれを撃沈。6月11日午前にも北緯07度40分 東経134度20分 / 北緯7.667度 東経134.333度 / 7.667; 134.333のパラオ西水道入口で、第46号哨戒艇に護衛されたオ204船団を発見し、陸軍輸送船ぜのあ丸(日本郵船、6,784トン)を撃沈した。6月15日にも北緯10度00分 東経131度10分 / 北緯10.000度 東経131.167度 / 10.000; 131.167の地点で輸送船に対して魚雷を3本発射するも、この攻撃は成功しなかった。この後、フィンバックは南西太平洋方面部隊潜水部隊に異動した。6月26日、フィンバックは44日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 7月18日、フィンバックは6回目の哨戒でジャワ海に向かった。この哨戒での最初の接触は7月30日の夜にあった。フィンバックは北緯06度30分 東経111度30分 / 北緯6.500度 東経111.500度 / 6.500; 111.500の地点で陸軍輸送船隆山丸(興国汽船、4,719トン)を攻撃した。隆山丸は搭載砲で反撃したが、結局撃沈された。8月1日明け方には南緯04度19分 東経112度09分 / 南緯4.317度 東経112.150度 / -4.317; 112.150の地点で海軍徴傭船あとらす丸(大阪商船、7,347トン)に対して魚雷を4本発射して1本を命中させて損傷を与える。8月3日深夜には南緯05度18分 東経111度50分 / 南緯5.300度 東経111.833度 / -5.300; 111.833の地点で陸軍輸送船海祥丸(八馬汽船、6,070トン)を発見し、魚雷を3本発射したものの回避され、続いて魚雷を2本発射して2本とも命中させて撃沈した。8月10日午後には南緯05度31分 東経120度46分 / 南緯5.517度 東経120.767度 / -5.517; 120.767の地点で特設運送船辰宮丸(辰馬汽船、6,343トン)に対して三度にわたり攻撃し、撃破した。攻撃の後、フィンバックは爆撃を受けるが被害はなかった。8月19日には南緯03度01分 東経125度50分 / 南緯3.017度 東経125.833度 / -3.017; 125.833の地点で4隻の小型船と交戦し、手痛い損害を与えた。8月24日深夜、フィンバックは1,450トン級輸送船を発見し、日付が8月25日に変わった直後に南緯02度22分 東経128度27分 / 南緯2.367度 東経128.450度 / -2.367; 128.450の地点で魚雷を2本発射するも、魚雷は命中しなかった。攻撃の後、フィンバックはミッドウェー島に針路を向け、9月7日に寄港した。9月12日、フィンバックは56日間の行動を終えて真珠湾に帰投。真珠湾の海軍工廠で、11月30日まで定期オーバーホールに入った。
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