第5、第6の哨戒 1943年3月 - 7月
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「ドラム (潜水艦)」の記事における「第5、第6の哨戒 1943年3月 - 7月」の解説
3月24日、ドラムは5回目の哨戒でビスマルク諸島方面に向かった。4月3日にナウル島の写真偵察を実施。4月9日、ドラムは北緯00度32分 東経150度05分 / 北緯0.533度 東経150.083度 / 0.533; 150.083のラバウル沖で4隻の中型輸送船と1隻の護衛艦からなる輸送船団を発見し、魚雷を3本発射。魚雷は1本が輸送船に命中してこれを撃沈した。撃沈後、ドラムは反響音がなくなるのを確認して浮上して周囲を捜索。すると、1艘の救命ボートを発見し、生存者を救助して尋問した所、船の名を「OYAMA-MARU TOKYO」、すなわち陸軍輸送船雄山丸(馬場商事、3,809トン)であると答えた。尋問後、救命ボートに20ミリ機銃弾240発を打ち込んで沈めた。間もなく別の輸送船団を北緯01度19分 東経150度04分 / 北緯1.317度 東経150.067度 / 1.317; 150.067の位置に探知し、翌4月10日未明に船団最後尾の輸送船に対して魚雷を3本発射。この攻撃で5,000トン級輸送船を撃沈したと判断され、やがて輸送船団はどこかに去っていった。4月14日には北緯01度29分 東経148度28分 / 北緯1.483度 東経148.467度 / 1.483; 148.467の地点で4つの目標を探知し、やがてその中には小型輸送船がいることがわかる。ドラムは時間をかけて先回りして輸送船団を待ち伏せ、夕刻にやっと攻撃態勢に入ることが出来たが、折り悪く哨戒機を発見して深海に潜航せざるを得なかった。しかし、この哨戒機は爆弾を投下せず、その理由として哨戒機は目標を撃沈したと思い込んだのか、味方と間違えたか、浮上してくるのを待っているか、いずれかだろうと考えられた。夜半に浮上したが、周辺には何もなかった。4月18日には北緯01度55分 東経148度24分 / 北緯1.917度 東経148.400度 / 1.917; 148.400のビスマルク諸島沖で特設運送船(給兵)日春丸(日産汽船、6,380トン)を発見し、魚雷を4本発射して2本命中させ、日春丸は航行不能となる。続いて魚雷を2本発射するも命中せず、三度目の攻撃で魚雷を2本発射し、ようやく日春丸を撃沈した。5月13日、ドラムは47日間の行動を終えてブリスベンに帰投した。 6月7日、ドラムは6回目の哨戒でビスマルク諸島方面に向かった。6月17日、ドラムは南緯02度03分 東経153度44分 / 南緯2.050度 東経153.733度 / -2.050; 153.733の地点でレーダーにより3つの目標、駆逐艦朝凪に護衛された第1142船団を探知し、やがて、その姿を確認する。ドラムは魚雷を4本発射し、うち3本が特設運送船妙高丸(板谷商船、5,086トン)に命中してこれを撃沈した。しかし、この哨戒で挙げた戦果は妙高丸撃沈のみであった。7月7日から8日にかけては北緯00度37分 東経148度13分 / 北緯0.617度 東経148.217度 / 0.617; 148.217の地点で目標を探知するが、その目標とは病院船だった。7月14日には南緯01度24分 東経147度59分 / 南緯1.400度 東経147.983度 / -1.400; 147.983の地点で4隻の輸送船団を発見するが、攻撃には至らなかった。7月26日、ドラムは51日間の行動を終えてブリスベンに帰投した。
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