第5、第6の哨戒 1942年8月 - 8月とは? わかりやすく解説

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第5、第6の哨戒 1942年8月 - 8月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/14 14:30 UTC 版)

サーゴ (潜水艦)」の記事における「第5、第6の哨戒 1942年8月 - 8月」の解説

8月27日サーゴ5回目哨戒セレベス海南シナ海方面向かった9月8日未明には大型あるいは中型船舶護衛する2隻の駆逐艦発見するが、駆逐艦攻撃封じられた。9月23日にも煙を目指し接近し中型貨物船に対して魚雷発射する命中しなかった。翌9月24日駆逐艦3隻のスクリュー音を探知しやり過ごす9月25日サーゴインドシナ半島パダラン岬沖南東海域駆逐艦刈萱護衛する336船団発見し輸送船帝望丸(元デンマーク船ノルドボ、帝国船舶/三菱商事委託、4,472トン)を撃沈サーゴ撃沈後浮上して砲撃銃撃行った10月25日サーゴ59日間行動終えてフリーマントル帰投艦長エドワード・S・カルミック少佐アナポリス1930年組)に代わった。この後サーゴブリスベン回航され、11月9日到着した11月29日サーゴ6回目哨戒ソロモン諸島方面向かった1942年大晦日サーゴはティングォン島とニューハノーバー島を結ぶ海域で、ジグザグ航行をしている7,500トンタンカーに対して潜航したまま4本の魚雷発射した激し爆発音観測し、船の破壊される雑音観測したものの、戦後の日本側の記録では船の撃沈確認できなかった。1943年1月10日まで哨区にとどまった後、針路を東に向けた1月13日には、九七式飛行艇爆撃受けたが、被害はなかった。1月21日サーゴ53日間行動終えて真珠湾帰投メア・アイランド海軍造船所で3か月オーバーホールを受けるためサンフランシスコ湾向かったオーバーホール終了後ハワイには5月10日帰還した

※この「第5、第6の哨戒 1942年8月 - 8月」の解説は、「サーゴ (潜水艦)」の解説の一部です。
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