第5、第6の哨戒 1942年8月 - 8月
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「サーゴ (潜水艦)」の記事における「第5、第6の哨戒 1942年8月 - 8月」の解説
8月27日、サーゴは5回目の哨戒でセレベス海、南シナ海方面に向かった。9月8日未明には大型あるいは中型の船舶を護衛する2隻の駆逐艦を発見するが、駆逐艦に攻撃を封じられた。9月23日にも煙を目指して接近し、中型貨物船に対して魚雷を発射するも命中しなかった。翌9月24日は駆逐艦3隻のスクリュー音を探知し、やり過ごす。9月25日、サーゴはインドシナ半島パダラン岬沖南東海域で駆逐艦刈萱が護衛する第336船団を発見し、輸送船帝望丸(元デンマーク船ノルドボ、帝国船舶/三菱商事委託、4,472トン)を撃沈。サーゴは撃沈後浮上して砲撃と銃撃を行った。10月25日、サーゴは59日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がエドワード・S・カルミック少佐(アナポリス1930年組)に代わった。この後、サーゴはブリスベンに回航され、11月9日に到着した。 11月29日、サーゴは6回目の哨戒でソロモン諸島方面に向かった。1942年の大晦日、サーゴはティングォン島とニューハノーバー島を結ぶ海域で、ジグザグ航行をしている7,500トン級タンカーに対して潜航したまま4本の魚雷を発射した。激しい爆発音を観測し、船の破壊される雑音も観測したものの、戦後の日本側の記録では船の撃沈は確認できなかった。1943年1月10日まで哨区にとどまった後、針路を東に向けた。1月13日には、九七式飛行艇の爆撃を受けたが、被害はなかった。1月21日、サーゴは53日間の行動を終えて真珠湾に帰投。メア・アイランド海軍造船所で3か月のオーバーホールを受けるためサンフランシスコ湾へ向かった。オーバーホール終了後、ハワイには5月10日に帰還した。
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