第5、第6の哨戒 1942年10月 - 1943年2月
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「ターポン (潜水艦)」の記事における「第5、第6の哨戒 1942年10月 - 1943年2月」の解説
10月22日、ターポンは5回目の哨戒でトラック諸島およびソロモン諸島方面に向かった。ブーゲンビル島北方、ニューアイルランド島近海などで哨戒。11月7日には輸送船団を発見して攻撃を行ったほか、病院船、4,000トン級輸送船、香取型練習巡洋艦および多数の漁船を観測したものの、11月7日の攻撃以外で雷撃を行うこともなかった。12月10日、ターポンは42日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。修理のため真珠湾に回航された。 1943年1月10日、ターポンは6回目の哨戒で日本近海に向かった。本州南方を哨戒していたターポンは、この哨戒でアメリカ潜水艦の戦術パターンの変化を示す戦果を挙げた。2月1日21時30分ごろ、相模湾から紀伊水道方面へ移動していたターポンは、御蔵島南方27海里の海域で水上航行中にレーダーで目標を探知し、水上航行の状態で追跡したのち、潜航することなく魚雷を4本発射して1本を命中させた。続く攻撃で外装発射管の2本の魚雷を発射し2本とも命中させ、北緯34度08分 東経138度18分 / 北緯34.133度 東経138.300度 / 34.133; 138.300の地点で基隆に向かっていた貨客船伏見丸(日本郵船、10,940トン)を撃沈した。その4日後、ターポンは日本本土とトラック間航路の哨戒を始めた。2月8日21時45分、ターポンは大型船をレーダーで探知。標的は貨客船龍田丸(日本郵船、16,975トン)であり、兵員や軍需品を満載してトラックへ向かう途中にあった。ターポンは再び潜航せずに4本の魚雷を発射して全て命中させ、御蔵島の92度40海里、北緯33度45分 東経140度25分 / 北緯33.750度 東経140.417度 / 33.750; 140.417の地点で龍田丸を撃沈した。護衛の駆逐艦山雲は龍田丸の爆発を見て反転し、「イカニセルヤ」と信号で問いつつ捜索と制圧を開始。ターポンは山雲の接近により潜航を余儀なくされ、戦果の確認はできなかった。その後は2隻の監視艇以外の敵に接触することはなかった。2月25日、ターポンは47日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。
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第5、第6の哨戒 1942年10月 - 1943年2月
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「ガジョン (SS-211)」の記事における「第5、第6の哨戒 1942年10月 - 1943年2月」の解説
10月8日、ガジョンは5回目の哨戒でソロモン諸島方面に向かった。10月21日、ガジョンは南緯03度30分 東経150度36分 / 南緯3.500度 東経150.600度 / -3.500; 150.600のカビエン南方で輸送船団を発見し、陸軍輸送船朝光丸(山下汽船、6,783トン)を撃沈。11月11日には南緯03度31分 東経148度13分 / 南緯3.517度 東経148.217度 / -3.517; 148.217の地点で7隻の輸送船団を発見し、数隻に向けて雷撃したが、命中しなかった。12月1日、ガジョンは54日間の行動を終えてブリスベンに帰投した。 12月27日、ガジョンは6回目の哨戒でフィリピン方面に向かった。この哨戒ではフィリピンの抗日ゲリラを支援する任務も与えられていた。1943年1月14日、ガジョンはネグロス島カトモン岬に到着し、6名の要員と1トンの貨物を上陸させた。フリーマントルへの帰途途中の1月25日から26日にかけて、アンボン沖で哨戒中に断続的な爆雷攻撃を受け、電池や清水タンクなど船体各部を損傷するが、哨戒を続けた。この攻撃は「第六号駆潜艇」によるものであった。2月9日には、ティモール島南岸から21名のオーストラリア兵、イギリス人とポルトガル人各1名、そして5名の原住民を救助した。2月18日、ガジョンは53日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がウィリアム・S・ポスト・ジュニア中佐(アナポリス1930年組)に代わった。
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