第5、第6の哨戒 1942年7月 - 1943年3月
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「ピカーレル (SS-177)」の記事における「第5、第6の哨戒 1942年7月 - 1943年3月」の解説
7月10日、ピカーレルは5回目の哨戒で真珠湾に向かった。道中、モルッカ海、モロタイ島近海、パラオ近海を経てグアムおよびサイパン島近海に至る針路をとる。7月28日、ピカーレルは北緯12度00分 東経140度35分 / 北緯12.000度 東経140.583度 / 12.000; 140.583のグアム近海で貨物船に対して魚雷を発射したが、失敗した。7月31日には、アプラ港内に高砂丸が在泊しているのを確認。翌8月1日、ピカーレルはロタ島沿岸部に貨物船が停泊しているのを発見して魚雷を発射し、目標から煙が上がるのを確認した。8月5日、ピカーレルはサイパン島タナパグ湾(英語版)を偵察してタンカーが停泊しているのを確認したが、水上機の制圧を受けた。8月6日と8月12日にも貨物船に対して魚雷を発射したが、ともに命中しなかった。8月26日、ピカーレルは47日間の行動を終えて真珠湾に帰投。オーバーホールのためメア・アイランド海軍造船所に回航され、久しぶりに本国に帰ってきた。オーバーホールの間に、艦長がオーガスタス・H・アルストン・ジュニア少佐(アナポリス1931年組)に代わった。また、攻撃力アップを企図して外装魚雷発射管が装備され、艦橋も改修された。 1943年1月22日、ピカーレルは6回目の哨戒で日本近海に向かった。千島列島海域を中心に、東京、キスカ島間の航路を哨戒。2月8日、ピカーレルは綾里崎沖で特設運送船藤影丸(山本汽船、4,004トン)に対して魚雷を3本発射したが、回避された。2月10日には北緯40度18分 東経141度52分 / 北緯40.300度 東経141.867度 / 40.300; 141.867の三陸沖で3隻の輸送船団を発見し、2番目の目標である6,000トン級貨物船に対して魚雷を3本発射。一部のアメリカ側の記録では、ピカーレルのこの攻撃で天利丸(政記輸船、2,184トン)を撃沈したと主張するが、実際には命中しなかった。2月12日、ピカーレルは金華山灯台沖でサンパン2隻を20ミリ機銃と小口径機銃で攻撃した。2月15日朝には再び綾里崎近海で輸送船団を発見し、海軍徴傭船立山丸(北日本汽船、1,990トン)に対して魚雷を3本発射して2本命中させ、立山丸を撃沈した。2月18日には塩屋埼灯台沖で船団護衛中の特設砲艦笠置丸(日本郵船、3,140トン)に対して魚雷を2本発射したが、これは命中しなかった。翌2月19日夕刻にも金華山灯台沖で輸送船団を攻撃して命中音一つを確認したが、これは魚雷が陸岸に命中して爆発したものだった。2月20日夜に金華山灯台沖で漁船に対して機銃攻撃を行った後、2月21日には第1219船団に対して魚雷を2本発射するも命中しなかった。3月3日、ピカーレルは37日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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