最初の接触
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最初の接触(さいしょのせっしょく、First Contact)はアメリカ合衆国のSF作家マレイ・ラインスターによる1945年の中編SF小説。初出はパルプマガジン「アスタウンディング」誌1945年5月号。日本語訳の初出は『S-Fマガジン』第58号(1964年8月号、訳:伊藤典夫)[1]。
ファーストコンタクトテーマSFの古典であり原点で、複数のアンソロジーに収載されている。 1996年にヒューゴー賞 中編小説部門を受賞。
地球の宇宙船の名前である「ランヴァボン」は南ウェールズの地名「Llanvabon」に由来する。
ストーリー
超光速宇宙探査船ランヴァボンは、かに星雲の内部、二重星の近傍で、洋梨を思わせる形状の漆黒の宇宙船と遭遇する。
異星人のものと思われる「黒い宇宙船」。お互いが友好的なのか敵対的なのか分からず、相手の情報は知りたいが自分たちの情報(特にそれぞれの母星の位置)は渡せない。疑心暗鬼のまま、少しずつ情報のやり取りが行われ、お互いの理解が深まっていく。
事態が膠着する中、ランヴァボンの船長は異星人側にある解決方法を提案する。
登場人物
- 船長
- 超光速宇宙探査船ランヴァボンの船長。
- トミイ・ドート
- ランヴァボンの観測員。異星人とのコンタクトを担当する。
- バック
- トミィとのコンタクトを担当する「黒い宇宙船」の異星人。「バック」はトミイの付けた愛称である。
異星人
酸素を呼吸するヒューマノイド(「黒い宇宙船」内の空気組成から、彼らの母星は酸素濃度28%で、気圧は地球より若干低いと推測された)。標準的地球人よりやや小柄で無毛。血液の基本成分が銅で、えら呼吸する。コミュニケーションに超短波を用い、音波はまったく使用しないため、音を感じる器官は持たない。また視覚が赤外線を主にすることから、彼らの母星は赤色矮星を廻る惑星ではないかと推測された。
日本語訳
- S-Fマガジン 1964年8月号 No.58(訳:伊藤典夫、早川書房、1964年)
- 「宇宙震」(訳:井上一夫、編:福島正実、ハヤカワSFシリーズ、1965年)
- 世界SF全集 第32巻 世界のSF(短篇集) (訳:伊藤典夫、早川書房、1969年)
- 「千億の世界」(訳:伊藤典夫、編:福島正実、芳賀書店、芳賀書店SFシリーズ、1972年)
- 「千億の世界 - 海外SF傑作選4」(訳:伊藤典夫、編:福島正実、講談社、講談社文庫、1977年)
- 「伊藤典夫翻訳SF傑作選 最初の接触」(訳:伊藤典夫、早川書房、ハヤカワ文庫SF、2019年)
外部リンク
- 翻訳作品集成 - ウェイバックマシン(2000年10月27日アーカイブ分)>マレイ・ラインスター
脚注
- ^ S-Fマガジン 1964年8月号
- ^ "Hic Rhodus, His Salta" by Robert Silverberg, Asimov's Science Fiction, January 2009, page 6.
最初の接触
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 02:03 UTC 版)
明確な命令は無く、そのためスションはアフリカ沿岸で戦争開始に備えることにした。スションはアルジェリアの港ボーヌ(現在のアンナバ)とフィリップヴィル(現在のスキクダ)の攻撃を計画した。そしてゲーベンがフィリップビルへ、ブレスラウがボーヌへ向かった。8月3日午後6時、西に向かって航行中にスションはドイツがフランスに宣戦布告したという報告を受けた。4日朝早く、スションは司令長官であるアルフレート・フォン・ティルピッツ提督から「8月3日、トルコと同盟が結ばれた。直ちにコンスタンティノープルへ向かえ」という命令を受けた。目標近くまで来ていたため、スションは夜明けに砲撃を行い、それから給炭のためメッシーナに向かった。 戦争前のイギリスとの協定により大西洋沿岸防衛をイギリスに任せていたためフランスは全艦隊を地中海に集中させることができた。フランス艦隊の3つの部隊が輸送船団の護衛に当たっていた。しかし、ゲーベンがさらに西に向かうことも予想されたにもかかわらず、輸送船団の防御を強固とするためにフランスのオーギュスタン・ブエ・ド・ラペレール(英語版)中将はゲーベン捜索に1隻の艦艇も派遣しなかった。そのためスションは妨害を受けずに東に向かうことができた。 スションの進路にはイギリスの巡洋戦艦インドミタブルとインディファティガブルがおり、8月4日午前9時30分に両者は接触した。フランスと異なり、この時イギリスはまだドイツと戦争状態になっていなかった。そこで、イギリスの巡洋戦艦はゲーベンとブレスラウの追跡を開始した。ミルンはドイツ艦隊と触したこととその位置は報告したが東に向かっていることを伝えるのを怠った。そのため、チャーチルはドイツ艦隊がまだフランスの輸送船団の脅威になると思い、ミルンに輸送部隊が攻撃された場合は交戦することを許可した。この時点では、チャーチルらはゲーベンが西へ向かっていると思い込んでおり、その後の指示に影響を及ぼすこととなる。
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