第5、第6の哨戒 1945年1月 - 5月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 17:57 UTC 版)
「バーフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第5、第6の哨戒 1945年1月 - 5月」の解説
1945年1月3日、バーフィッシュは5回目の哨戒で日本近海に向かった。2月11日、バーフィッシュは小笠原諸島近海を潜航中に第49号海防艦に探知された。この頃、付近で父島から出てきた輸送船団が攻撃を受けたため、警戒を強めていたところであった。第49号海防艦は合計39発もの爆雷を投下してバーフィッシュを攻め立て、バーフィッシュは気泡を夜光虫に照らされながら135メートルの深度に逃げた。また、水上偵察機が飛来して対潜爆弾を合計20発投下した。一連の攻撃によりバーフィッシュは5番魚雷発射管にダメージを受けたが、修理して哨戒には差し支えなかった。この哨戒では、このとき以外に敵との接触はなかった。2月24日、バーフィッシュは48日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投した。 3月25日、バーフィッシュは6回目の哨戒でルソン海峡および台湾海峡方面に向かった。この哨戒では敵船と接触することはなかったが、4月30日早朝にバタン諸島の通信施設に対して4インチ砲による艦砲射撃を行った。5月13日、バーフィッシュは49日間の行動を終えて真珠湾に帰投。5月16日にオーバーホールのため本国帰還を命じられ、6月19日にポーツマス海軍造船所に到着した。オーバーホール中に終戦を迎えた。
※この「第5、第6の哨戒 1945年1月 - 5月」の解説は、「バーフィッシュ (潜水艦)」の解説の一部です。
「第5、第6の哨戒 1945年1月 - 5月」を含む「バーフィッシュ (潜水艦)」の記事については、「バーフィッシュ (潜水艦)」の概要を参照ください。
第5、第6の哨戒 1945年1月 - 5月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/28 22:26 UTC 版)
「ガヴィナ (潜水艦)」の記事における「第5、第6の哨戒 1945年1月 - 5月」の解説
1945年1月23日、ガヴィナは5回目の哨戒でパンパニト (USS Pampanito, SS-383) 、ベクーナ (USS Becuna, SS-319) 、ブレニー (USS Blenny, SS-324) とウルフパックを構成し南シナ海に向かった。2月6日、ガヴィナはパンパニトの報告で近辺に獲物があることを知り、予想進路上で待機した。翌2月7日、ガヴィナは北緯06度58分 東経106度08分 / 北緯6.967度 東経106.133度 / 6.967; 106.133の地点で南号作戦のヒ88D船団が北上してくるのを発見し、4時54分ごろに魚雷を6本発射してタンカー大暁丸(大阪商船、6,892トン)に3本を命中させ大暁丸を撃沈し、その他「4,000トン級輸送船を撃破した」と判定された。同じ日の夜には北緯06度33分 東経104度31分 / 北緯6.550度 東経104.517度 / 6.550; 104.517の地点で護衛艦に向けて魚雷を1本だけ発射したが、回避された。翌日ガヴィナはパンパニトに、返礼代わりに獲物があることを知らせ、パンパニトはこれによって輸送船永福丸(日本郵船、3,520トン)を撃沈することができた。ガヴィナ自身は2月20日朝に北緯11度55分 東経109度20分 / 北緯11.917度 東経109.333度 / 11.917; 109.333のインドシナ半島パダラン岬沖で、これも南号作戦参加船団であるヒ90船団を発見。魚雷を4本発射し、タンカー永洋丸(日本油槽船、8,673トン)の右舷側に命中させてこれを撃沈したが、直後から7時間にわたって、哨戒機と護衛艦に98発もの爆雷や対潜爆弾を投下され、ガヴィナは深度40メートルの海底でじっとしてる他はなかった。しかし、幸運にも大きな被害を受けなかった。3月5日、ガヴィナは42日間の行動を終えてスービック湾に帰投した。 3月21日、ガヴィナは6回目の哨戒でロック (USS Rock, SS-274) およびコビア (USS Cobia, SS-245) 、ブレニーとウルフパックを構成し南シナ海に向かった。このころには哨戒海域に日本の船舶の姿はほとんどなく、3月27日に北緯11度33分 東経109度10分 / 北緯11.550度 東経109.167度 / 11.550; 109.167の地点で遠方に輸送船団を発見したのと、4月5日に北緯10度26分 東経110度42分 / 北緯10.433度 東経110.700度 / 10.433; 110.700の地点で病院船高砂丸(大阪商船、9,315トン)を発見したぐらいだった。ほかに、3月28日にB-25の乗員5名を救助した。しかし、この哨戒での攻撃の機会は一度もなかった。5月8日、ガヴィナは48日間の行動を終えて真珠湾に帰投。ガヴィナは西海岸に回航されてオーバーホールに入った。オーバーホール終了後、8月6日に真珠湾に向かったが、途中で終戦を迎えて引き返し、メア・アイランド海軍造船所にて現役のまま保管された。
※この「第5、第6の哨戒 1945年1月 - 5月」の解説は、「ガヴィナ (潜水艦)」の解説の一部です。
「第5、第6の哨戒 1945年1月 - 5月」を含む「ガヴィナ (潜水艦)」の記事については、「ガヴィナ (潜水艦)」の概要を参照ください。
- 第5、第6の哨戒 1945年1月 - 5月のページへのリンク