第5、第6の哨戒 1945年3月 - 6月
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「パーチ (SS-313)」の記事における「第5、第6の哨戒 1945年3月 - 6月」の解説
3月12日、パーチは5回目の哨戒でボルネオ島方面に向かった。この哨戒でパーチは、特殊任務に就いた。パーチは11名のオーストラリア陸軍兵士をバリクパパン近辺の海岸に上陸させ、地形偵察の手助けをした。幾度かの活動の後、3月22日に兵士を撤収させる段になったが、この時、南緯01度03分 東経117度20分 / 南緯1.050度 東経117.333度 / -1.050; 117.333の地点で300トンクラスの小型沿岸貨物船と目された第463号交通船がパーチの退路をふさぐ様に出現し、パーチはこれと交戦して撃沈、兵士を収容した後にその場を立ち去った。3月30日、パーチは10日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がチャールズ・D・マッカル(アナポリス1939年組)に代わった。 4月15日、パーチは6回目の哨戒でジャワ海を経て南シナ海に向かった。4月26日、パーチはボルネオ島北部の沿岸で2隻の船舶からなる小輸送船団を発見したが、相手の護衛艦に探知され、2時間もの間爆雷攻撃を受けた。しかし、この爆雷攻撃による損害はなかった。その後、パーチは海南島沖を経て東に向かった。6月5日、パーチは53日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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第5、第6の哨戒 1945年3月 - 6月
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「ブルーギル (潜水艦)」の記事における「第5、第6の哨戒 1945年3月 - 6月」の解説
3月12日、ブルーギルは5回目の哨戒で南シナ海、ジャワ海およびインドシナ半島方面に向かった。エクスマウス湾(英語版)で給油ののち哨戒海域に針路を向ける。3月19日朝、ブルーギルは南緯08度31分 東経116度15分 / 南緯8.517度 東経116.250度 / -8.517; 116.250のロンボク海峡で小型輸送船を発見し、午後に入って魚雷を3本発射したが、命中しなかった。担当海域に到着後はブラックフィン (USS Blackfin, SS-322) およびハンマーヘッド (USS Hammerhead, SS-364) とウルフパックを構成して哨戒にあたった。3月28日、ブルーギルは北緯12度39分 東経109度27分 / 北緯12.650度 東経109.450度 / 12.650; 109.450のインドシナ半島ナトラン北東沖で、南号作戦最終船団であるヒ88J船団を発見する。ヒ88J船団にはブラックフィンも張り付いており、やがてブラックフィンへのものと思しき爆雷攻撃を音がとどろく。ブルーギルは、注意がブラックフィンの方に向いている隙をうかがい、この時点で船団に残っていた唯一の大型船である陸軍タンカー鳳南丸(拿捕船、元イギリス船 ウォー・サイダー/飯野海運委託、5,518トン)に対して魚雷を3本発射。魚雷は鳳南丸に2本が命中し、魚雷の命中を受けて船尾が切断され座礁した。ブルーギルでは、他に護衛艦にも魚雷が命中して損傷を与えたと判断した。ヒ88J船団は反復攻撃を受けて翌日事実上全滅し、こうして日本と南方の補給路は完全に失われることとなった。翌3月29日未明、座礁している鳳南丸に浮上して接近したブルーギルは、魚雷を2本発射して2本とも命中させて鳳南丸をさらに破壊した。最終的には、4月15日未明に志願者を募って鳳南丸に向かわせ、爆破と焼き討ちを行って鳳南丸を完全に破壊した。4月18日、ブルーギルは37日間の行動を終えてスービック湾に帰投した。 5月11日、ブルーギルは6回目の哨戒で汕頭、台湾近海に向かった。しかし、この頃にはアメリカ軍が制海権を手に入れつつあったこの海域に日本の船の姿はもはやなく、代わりに5月28日にプラタス島への偵察及び攻撃を行う。PBY カタリナの爆撃の後に浮上して艦砲射撃を行い、12名の乗員を上陸させる。プラタス島に上陸した乗員は、島から日本海軍の守備隊が撤退した痕跡を発見した。翌日島には星条旗が掲げられ、プラタス島を「ブルーギル島」と改名する宣言がなされた。この後、ブルーギルはオーバーホールを受けるために本国に向かうよう指示された。6月12日にサイパン島に寄港の後。6月21日、ブルーギルは41日間の行動を終え真珠湾に帰投した。その後、メア・アイランド海軍造船所に回航されてオーバーホール中に終戦を迎え、1946年3月1日に予備役となった。
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