第5、第6の哨戒 1944年9月 - 1945年1月とは? わかりやすく解説

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第5、第6の哨戒 1944年9月 - 1945年1月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 16:05 UTC 版)

アポゴン (潜水艦)」の記事における「第5、第6の哨戒 1944年9月 - 1945年1月」の解説

9月12日、アポゴンは5回目哨戒千島列島方面向かった9月23日北緯3457東経15044分 / 北緯34.950度 東経150.733度 / 34.950; 150.733の地点特設監視艇第六朝洋丸(西大漁業91トン)を撃沈した4日後の9月27日には、北緯4707東経15125分 / 北緯47.117度 東経151.417度 / 47.117; 151.417北緯47度7分、東経15125分のオホーツク海八郎潟丸(中川汽船、1,999トン)を撃沈し生存者2名を救助した翌月これといった獲物もなかった。10月28日、アポゴンは46日間行動終えてミッドウェー島帰投した。 11月20日、アポゴンは6回目哨戒千島列島方面向かった。この時期になると、アポゴンの哨戒海域往来する船舶はほとんどおらず、12月19日タンカーに対して雷撃したのが、この哨戒におけるアポゴンの唯一の攻撃行動であった1945年1月5日、アポゴンは46日間行動終えて真珠湾帰投2日後1月7日オーバーホールのためにメア・アイランド海軍造船所回航されていった

※この「第5、第6の哨戒 1944年9月 - 1945年1月」の解説は、「アポゴン (潜水艦)」の解説の一部です。
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