第5、第6の哨戒 1944年9月 - 1945年1月
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「アポゴン (潜水艦)」の記事における「第5、第6の哨戒 1944年9月 - 1945年1月」の解説
9月12日、アポゴンは5回目の哨戒で千島列島方面に向かった。9月23日に北緯34度57分 東経150度44分 / 北緯34.950度 東経150.733度 / 34.950; 150.733の地点で特設監視艇第六朝洋丸(西大洋漁業、91トン)を撃沈した。4日後の9月27日には、北緯47度07分 東経151度25分 / 北緯47.117度 東経151.417度 / 47.117; 151.417北緯47度7分、東経151度25分のオホーツク海で八郎潟丸(中川汽船、1,999トン)を撃沈し、生存者2名を救助した。翌月はこれといった獲物もなかった。10月28日、アポゴンは46日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。 11月20日、アポゴンは6回目の哨戒で千島列島方面に向かった。この時期になると、アポゴンの哨戒海域を往来する船舶はほとんどおらず、12月19日にタンカーに対して雷撃したのが、この哨戒におけるアポゴンの唯一の攻撃行動であった。1945年1月5日、アポゴンは46日間の行動を終えて真珠湾に帰投。2日後の1月7日にオーバーホールのためにメア・アイランド海軍造船所に回航されていった。
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