第5、第6の哨戒 1945年5月 - 8月とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 第5、第6の哨戒 1945年5月 - 8月の意味・解説 

第5、第6の哨戒 1945年5月 - 8月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/05 21:22 UTC 版)

ピラーニャ (潜水艦)」の記事における「第5、第6の哨戒 1945年5月 - 8月」の解説

5月17日ピラーニャ5回目哨戒日本近海向かった5月22日から31日には南鳥島沖救助配備に就く傍ら最終日31日深夜には同島に対して艦砲射撃行った。同島での戦闘では沿岸砲台から数回砲撃受けている。サイパン島燃料補給後、ピラーニャ本州沖に進路取ったこの頃日本本土沿岸での商船航行量10分の1減少しピラーニャ哨戒活動は、浅い海域および敵護衛艦によって妨げられることが多くなった。駆潜艇および航空機からの攻撃危険性高まりピラーニャ安全な水深を取ることが難しくなったため沖での活動強いられることとなる。しかしながら乗組員勇気執念戦果結実繋がった6月16日ピラーニャ北緯4155東経14113分 / 北緯41.917度 東経141.217度 / 41.917; 141.217の北海道内浦湾熊泊沖で永祚丸(日本郵船、6,890トン)に魚雷命中させ、永祚丸は被害甚大につき6月19日放棄された。翌17日には沿岸輸送船撃沈しドラム缶満載したトロール船砲撃破壊した6月22日には、北緯3931分 東経14208分 / 北緯39.517度 東経142.133度 / 39.517; 142.133の魹ヶ埼灯台沖で第196海防艦向けて魚雷3本発射、うち1本が第196海防艦艦尾命中して舵を破壊し撃破した23日にも2隻のトロール船破壊し護衛艦による反撃僅かに損傷受けたものの、大したことはなかった。7月10日ピラーニャ49日間の行動終えて真珠湾帰投した。 8月14日ピラーニャ6回目哨戒出たものの、14時間後に帰投命じられた。

※この「第5、第6の哨戒 1945年5月 - 8月」の解説は、「ピラーニャ (潜水艦)」の解説の一部です。
「第5、第6の哨戒 1945年5月 - 8月」を含む「ピラーニャ (潜水艦)」の記事については、「ピラーニャ (潜水艦)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第5、第6の哨戒 1945年5月 - 8月」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第5、第6の哨戒 1945年5月 - 8月」の関連用語

第5、第6の哨戒 1945年5月 - 8月のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第5、第6の哨戒 1945年5月 - 8月のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのピラーニャ (潜水艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS