第5、第6の哨戒 1945年5月 - 8月
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「ピラーニャ (潜水艦)」の記事における「第5、第6の哨戒 1945年5月 - 8月」の解説
5月17日、ピラーニャは5回目の哨戒で日本近海に向かった。5月22日から31日には南鳥島沖で救助配備に就く傍ら、最終日の31日深夜には同島に対して艦砲射撃を行った。同島での戦闘では沿岸砲台から数回の砲撃も受けている。サイパン島で燃料を補給後、ピラーニャは本州沖に進路を取った。この頃、日本本土沿岸での商船の航行量は10分の1に減少し、ピラーニャの哨戒活動は、浅い海域および敵護衛艦によって妨げられることが多くなった。駆潜艇および航空機からの攻撃の危険性は高まり、ピラーニャは安全な水深を取ることが難しくなったため沖での活動を強いられることとなる。しかしながら乗組員の勇気と執念は戦果の結実に繋がった。6月16日、ピラーニャは北緯41度55分 東経141度13分 / 北緯41.917度 東経141.217度 / 41.917; 141.217の北海道内浦湾熊泊沖で永祚丸(日本郵船、6,890トン)に魚雷を命中させ、永祚丸は被害甚大につき6月19日に放棄された。翌17日には沿岸輸送船を撃沈し、ドラム缶を満載したトロール船を砲撃で破壊した。6月22日には、北緯39度31分 東経142度08分 / 北緯39.517度 東経142.133度 / 39.517; 142.133の魹ヶ埼灯台沖で第196号海防艦に向けて魚雷を3本発射、うち1本が第196号海防艦の艦尾に命中して舵を破壊し撃破した。23日にも2隻のトロール船を破壊し、護衛艦による反撃で僅かに損傷を受けたものの、大したことはなかった。7月10日、ピラーニャは49日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 8月14日、ピラーニャは6回目の哨戒に出たものの、14時間後に帰投を命じられた。
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