第4、第5、第6の哨戒 1944年12月 - 1945年6月
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「ブリーム (潜水艦)」の記事における「第4、第5、第6の哨戒 1944年12月 - 1945年6月」の解説
12月19日、ブリームは4回目の哨戒でブルーギル (USS Bluegill, SS-242) およびバーベル (USS Barbel, SS-316) らとともに南シナ海に向かった。1945年1月7日には、南沙諸島長島を偵察した。1月24日、ブリームは北緯02度57分 東経108度44分 / 北緯2.950度 東経108.733度 / 2.950; 108.733の地点で煙を発見したため戦闘配置を令して潜航し、様子をうかがっていたところ、煙の持ち主は氷川丸(日本郵船、11,622トン)と思しき病院船であった。この哨戒において攻撃の機会はなかった。2月10日、ブリームは52日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 3月7日、ブリームは5回目の哨戒でジャワ海方面に向かった。3月10日にエクスマウス湾(英語版)で給油した後、3月13日には南緯05度35分 東経114度11分 / 南緯5.583度 東経114.183度 / -5.583; 114.183の地点で2隻の60トン級海上トラックを発見し、浮上砲戦で1隻を撃沈して、もう1隻も破壊した。翌3月14日には南緯05度41分 東経114度03分 / 南緯5.683度 東経114.050度 / -5.683; 114.050の地点で3隻の小型輸送船と2隻の護衛艦からなる輸送船団を発見し、まず魚雷を6本発射して、1本を2,500トン級輸送船に命中させて撃沈したと判断される。続いて、Mk27誘導魚雷(英語版)を1本発射したが、命中しなかった。一連の攻撃で特設駆潜艇京浜丸(神奈川県、76トン)を撃沈した。また、3月13日から17日にかけて、ブリームはジャワ海のグレートマサレンボ島から日本軍の捕虜になっていた2人のオペレーターを救出した。しかし、3月15日から16日にかけて、ブリームは千鳥型水雷艇と思しき艦艇からの爆雷攻撃を受け損傷し、攻撃から逃れたと思えば発射管室で火災が発生。ブリームはやむを得ず、特別任務と哨戒を打ち切って帰投することとした。3月16日夜、ブリームは2隻の輸送船と2隻の護衛艦からなる輸送船団を発見し、3月17日未明にいたって南緯05度14分 東経114度55分 / 南緯5.233度 東経114.917度 / -5.233; 114.917の地点で魚雷を4本発射したが、うち2本が途中で沈むなどして命中しなかった。3月22日、ブリームは19日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 4月20日、ブリームは6回目の哨戒でジャワ海、タイランド湾、南シナ海および台湾近海に向かった。4月29日夜、ブリームは南緯04度11分 東経111度17分 / 南緯4.183度 東経111.283度 / -4.183; 111.283の地点で特設潜水母艦帝珠丸(元ドイツ掃海母艦キト/帝国船舶、1,230トン)を発見して魚雷を6本発射し、うち2本を命中させて撃沈した。ブリームは浮上後、帝珠丸の生存者を救助し、このことを翌4月30日のベスゴ (USS Besugo, SS-321) との交信で報告すると、「相手は10,000トン級の封鎖突破船だっただろう」という回答を得た。5月8日には北緯07度05分 東経104度45分 / 北緯7.083度 東経104.750度 / 7.083; 104.750から北緯10度00分 東経102度35分 / 北緯10.000度 東経102.583度 / 10.000; 102.583にかけての海域に機雷を敷設した。ブリームは5月14日にスービック湾に寄港した後、台湾沖で救助任務に従事した。6月5日にブリームはサイパン島に寄港。6月15日、ブリームは54日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。ブリームはその後、6月24日にサンフランシスコに到着する。サンフランシスコでオーバーホールの後、1946年1月31日に予備役となり太平洋予備役艦隊入りした。
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