第4、第5、第6の哨戒 1942年11月 - 1943年7月とは? わかりやすく解説

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第4、第5、第6の哨戒 1942年11月 - 1943年7月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/10 21:06 UTC 版)

ポーパス (SS-172)」の記事における「第4、第5、第6の哨戒 1942年11月 - 1943年7月」の解説

11月30日ポーパス4回目の哨戒日本近海向かった12月31日に2,000トン貨物船に対して攻撃を行うも失敗。年が明けた1943年1月1日朝、ポーパス釜石沖で北行80船団北行82船団並列航行するのを目撃して攻撃し北行82船団中の貨物船連山丸(興国産業、4,999トン)を撃沈した1月3日には金華山灯台沖で8隻の輸送船団発見するも、第17号掃海艇爆雷攻撃によって追い払われた。1月15日ポーパス47日間行動終えてミッドウェー島帰投した。 2月6日ポーパス5回目哨戒マーシャル諸島およびトラック諸島方面向かった。しかし、2月9日ウェーク島近海浮上哨戒中に点検したところ、燃料系統故障生じているのを発見しミッドウェー島経て真珠湾に引き返すこととなったポーパス2月15日真珠湾到着し修理が行われた。2月26日修復なったポーパス真珠湾再度出撃ジョンストン島経由してクェゼリン環礁ジャルート環礁方面中心に哨戒4月4日には北緯13度30東経16156分 / 北緯13.500度 東経161.933度 / 13.500; 161.933のエニウェトク環礁北方特設給糧船興亜丸(極洋捕鯨、2,024トン)を撃沈した4月15日ポーパス48日間行動終えて真珠湾帰投艦長カーター・L・ベネット少佐アナポリス1933年組)に代わった。 6月20日ポーパス6回目哨戒マーシャル諸島方面向かった6月30日マロエラップ環礁近海で4,000トン貨物船撃沈報じ7月3日にもアイリングラップ環礁近海で7,000トン貨物船撃沈報じた7月15日にはウチリック環礁近海100トンから150トン級のスクーナー砲撃する7月19日ウェーク島クェゼリン環礁間を哨戒中のポーパスは、北緯1834東経16620分 / 北緯18.567度 東経166.333度 / 18.567; 166.333の地点海軍徴傭第二御影丸(武庫汽船、2,718トン)を撃沈した7月28日ポーパス36日間行動終えて真珠湾帰投。これがポーパス最後哨戒となった

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