第4、第5、第6の哨戒 1942年11月 - 1943年7月
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「ポーパス (SS-172)」の記事における「第4、第5、第6の哨戒 1942年11月 - 1943年7月」の解説
11月30日、ポーパスは4回目の哨戒で日本近海に向かった。12月31日に2,000トン級貨物船に対して攻撃を行うも失敗。年が明けた1943年1月1日朝、ポーパスは釜石沖で北行第80船団と北行第82船団が並列で航行するのを目撃して攻撃し、北行第82船団中の貨物船連山丸(興国産業、4,999トン)を撃沈した。1月3日には金華山灯台沖で8隻の輸送船団を発見するも、第17号掃海艇の爆雷攻撃によって追い払われた。1月15日、ポーパスは47日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。 2月6日、ポーパスは5回目の哨戒でマーシャル諸島およびトラック諸島方面に向かった。しかし、2月9日にウェーク島近海で浮上哨戒中に点検したところ、燃料系統に故障が生じているのを発見し、ミッドウェー島を経て真珠湾に引き返すこととなった。ポーパスは2月15日に真珠湾に到着し、修理が行われた。2月26日、修復なったポーパスは真珠湾を再度出撃。ジョンストン島を経由してクェゼリン環礁、ジャルート環礁方面を中心に哨戒。4月4日には北緯13度30分 東経161度56分 / 北緯13.500度 東経161.933度 / 13.500; 161.933のエニウェトク環礁北方で特設給糧船興亜丸(極洋捕鯨、2,024トン)を撃沈した。4月15日、ポーパスは48日間の行動を終えて真珠湾に帰投。艦長がカーター・L・ベネット少佐(アナポリス1933年組)に代わった。 6月20日、ポーパスは6回目の哨戒でマーシャル諸島方面に向かった。6月30日にマロエラップ環礁近海で4,000トン級貨物船の撃沈を報じ、7月3日にもアイリングラップ環礁近海で7,000トン級貨物船の撃沈を報じた。7月15日にはウチリック環礁近海で100トンから150トン級のスクーナーを砲撃する。7月19日、ウェーク島とクェゼリン環礁間を哨戒中のポーパスは、北緯18度34分 東経166度20分 / 北緯18.567度 東経166.333度 / 18.567; 166.333の地点で海軍徴傭船第二十御影丸(武庫汽船、2,718トン)を撃沈した。7月28日、ポーパスは36日間の行動を終えて真珠湾に帰投。これがポーパスの最後の哨戒となった。
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