第4、第5、第6の哨戒 1945年2月 - 9月とは? わかりやすく解説

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第4、第5、第6の哨戒 1945年2月 - 9月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/20 18:29 UTC 版)

カヴァラ (潜水艦)」の記事における「第4、第5、第6の哨戒 1945年2月 - 9月」の解説

2月8日カヴァラ4回目の哨戒南シナ海インドシナ半島方面向かった哨戒浮遊機雷銃撃爆破を5回行ったほかは特に大きな出来事もなく終了し攻撃機会もなかった。3月25日カヴァラ46日間行動終えてスービック湾帰投した。 4月20日カヴァラ5回目哨戒ジャワ海南シナ海方面向かった。期間の前半救助任務従事する5月19日ジャワ海西方海域作戦中のイギリス潜水艦テラピン英語版) (HMS Terrapin, P323) が爆雷攻撃受けて大破しフリーマントル帰投することとなった5月21日南緯0605東経11404分 / 南緯6.083度 東経114.067度 / -6.083; 114.067の地点テラピン会合するが、カヴァラ当初アメリカ潜水艦とは違った艦影に「日本潜水艦」と疑っていた。テラピンからの状況説明受けたカヴァラ哨戒中止しテラピン護衛することとなった5月27日カヴァラテラピン護衛し38日間行動終えてフリーマントル帰投した。その後訓練の後6月24日フリーマントル出港し、グアムアプラ港には7月8日到着した8月5日カヴァラ6回目哨戒日本近海向かった。この哨戒ではB-29艦載機搭乗員救出主な活動としていたが、哨戒中に8月15日終戦迎えた。しかし、その知らせ聞いてまもなく、日本爆撃機攻撃受けたカヴァラ潜航し爆撃機飛び去るのを待つ間、コスラー艦長祝杯ブランデーどうするべきか、いつ開けるかを部下に問うた。部下1人が「日本降伏調印をするまで待ちましょう」と答えたのでその通りにした。30分後、カヴァラ浮上して事の次第ハルゼー大将報告した数時間後、カヴァラハルゼー大将指揮下の全艦艇にあてた命令である「もしジャップ飛んできたら、敵対的ではなく友好的に撃て」を受信した8月31日カヴァラガトー (USS Gato, SS-212) ら他の選ばれ潜水艦とともに横須賀入港9月2日降伏文書調印式立ち会い、その翌日カヴァラ日本を後にした。9月12日カヴァラ真珠湾帰投その後アメリカ本土向かった10月6日ニューロンドン凱旋し1946年3月16日予備役艦隊編入された。

※この「第4、第5、第6の哨戒 1945年2月 - 9月」の解説は、「カヴァラ (潜水艦)」の解説の一部です。
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