第4、第5、第6の哨戒 1945年2月 - 9月
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「カヴァラ (潜水艦)」の記事における「第4、第5、第6の哨戒 1945年2月 - 9月」の解説
2月8日、カヴァラは4回目の哨戒で南シナ海、インドシナ半島方面に向かった。哨戒は浮遊機雷の銃撃爆破を5回行ったほかは特に大きな出来事もなく終了し、攻撃機会もなかった。3月25日、カヴァラは46日間の行動を終えてスービック湾に帰投した。 4月20日、カヴァラは5回目の哨戒でジャワ海、南シナ海方面に向かった。期間の前半は救助任務に従事する。5月19日、ジャワ海の西方海域で作戦中のイギリス潜水艦テラピン(英語版) (HMS Terrapin, P323) が爆雷攻撃を受けて大破し、フリーマントルに帰投することとなった。5月21日に南緯06度05分 東経114度04分 / 南緯6.083度 東経114.067度 / -6.083; 114.067の地点でテラピンと会合するが、カヴァラは当初、アメリカ潜水艦とは違った艦影に「日本潜水艦」と疑っていた。テラピンからの状況説明を受けたカヴァラは哨戒を中止し、テラピンを護衛することとなった。5月27日、カヴァラはテラピンを護衛し38日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。その後訓練の後6月24日にフリーマントルを出港し、グアムアプラ港には7月8日に到着した。 8月5日、カヴァラは6回目の哨戒で日本近海に向かった。この哨戒ではB-29や艦載機の搭乗員救出を主な活動としていたが、哨戒中に8月15日の終戦を迎えた。しかし、その知らせを聞いてまもなく、日本の爆撃機の攻撃を受けた。カヴァラは潜航して爆撃機が飛び去るのを待つ間、コスラー艦長は祝杯のブランデーをどうするべきか、いつ開けるかを部下に問うた。部下の1人が「日本が降伏の調印をするまで待ちましょう」と答えたのでその通りにした。30分後、カヴァラは浮上して事の次第をハルゼー大将に報告した。数時間後、カヴァラはハルゼー大将が指揮下の全艦艇にあてた命令である「もしジャップが飛んできたら、敵対的ではなく友好的に撃て」を受信した。8月31日、カヴァラはガトー (USS Gato, SS-212) ら他の選ばれし潜水艦とともに横須賀に入港。9月2日の降伏文書調印式に立ち会い、その翌日、カヴァラは日本を後にした。9月12日、カヴァラは真珠湾に帰投。その後、アメリカ本土に向かった。10月6日にニューロンドンに凱旋し、1946年3月16日に予備役艦隊に編入された。
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