第4、第5、第6の哨戒 1942年10月 - 1943年4月
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「ポラック (潜水艦)」の記事における「第4、第5、第6の哨戒 1942年10月 - 1943年4月」の解説
10月10日、ポラックは4回目の哨戒でトラック諸島方面に向かった。ポラックは哨戒海域に到着する前に、ミッドウェー島への一時帰還を命じられ、10月23日に到着。燃料を満載したポラックは同日ミッドウェー島を離れ、トラックの出入り口を哨戒。ソロモン諸島での海戦から後退してくる敵艦を迎え撃つために待機した。しかし、この哨戒では敵艦と接触することはなかった。11月29日、ポラックは49日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 12月31日、ポラックは5回目の哨戒で日本近海に向かった。東北地方沖での敵艦船との接触は2回あり、まず1943年1月19日に白糠海岸に座礁放棄されていた輸送船玄山丸(宮地汽船、5,691トン)に対して魚雷をまず1本発射するも命中せず、続いてもう1本発射して命中させた。2日後の1月21日夜には北緯42度43分 東経145度22分 / 北緯42.717度 東経145.367度 / 42.717; 145.367の地点で、陸軍輸送船崎戸丸(日本郵船、9,245トン)に対して魚雷を2本発射するも回避された。2月10日、ポラックは41日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 3月6日、ポラックは6回目の哨戒でギルバート諸島およびマーシャル諸島方面に向かった。3月20日の午後、ポラックはジャルート環礁とマキン間の航路を行く貨物船を攻撃し、3本の魚雷の内1本を命中させたと判断された。3月21日と4月4日にも貨物船を攻撃し、ともに命中と判断された。4月18日、ポラックは44日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。艦長がバフォード・E・レウェレン少佐(アナポリス1931年組)に代わった。
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