第4、第5、第6の哨戒 1942年10月 - 1943年4月とは? わかりやすく解説

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第4、第5、第6の哨戒 1942年10月 - 1943年4月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 17:44 UTC 版)

ポラック (潜水艦)」の記事における「第4、第5、第6の哨戒 1942年10月 - 1943年4月」の解説

10月10日ポラック4回目の哨戒トラック諸島方面向かったポラック哨戒海域到着する前にミッドウェー島への一時帰還命じられ10月23日到着燃料満載したポラック同日ミッドウェー島離れトラック出入り口哨戒ソロモン諸島での海戦から後退してくる敵艦迎え撃つために待機した。しかし、この哨戒では敵艦接触することはなかった。11月29日ポラック49日間の行動終えて真珠湾帰投した。 12月31日ポラック5回目哨戒日本近海向かった東北地方沖での敵艦船との接触は2回あり、まず1943年1月19日白糠海岸座礁放棄されていた輸送船玄山丸(宮地汽船、5,691トンに対して魚雷をまず1本発射する命中せず続いてもう1本発射して命中させた。2日後1月21日夜に北緯4243東経14522分 / 北緯42.717度 東経145.367度 / 42.717; 145.367の地点で、陸軍輸送船崎戸丸日本郵船、9,245トンに対して魚雷を2本発射する回避された。2月10日ポラック41日間行動終えて真珠湾帰投した。 3月6日ポラック6回目哨戒ギルバート諸島およびマーシャル諸島方面向かった3月20日午後ポラックジャルート環礁マキン間の航路を行く貨物船攻撃し3本魚雷の内1本を命中させたと判断された。3月21日4月4日にも貨物船攻撃し、ともに命中判断された。4月18日ポラック44日間行動終えてミッドウェー島帰投艦長がバフォード・E・レウェレン少佐アナポリス1931年組)に代わった。

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