第4、第5、第6の哨戒 1944年2月 - 9月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/22 18:23 UTC 版)
「ブルーフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第4、第5、第6の哨戒 1944年2月 - 9月」の解説
2月13日、ブルーフィッシュは4回目の哨戒で南シナ海に向かった。日付が3月3日になってすぐ、ブルーフィッシュのレーダーは17,500ヤード(約16キロ)先に目標を探知する。間合いを取って追跡を行い、明け方には先頭船と二番船に対して魚雷を3本ずつ計6本発射し、反転し三番船に対して艦尾発射管から魚雷を4本発射するも、全て外れた。この目標はヒ47船団で、魚雷は特設運送船能代丸(日本郵船、7,189トン)に向かったが回避された。一度はヒ74船団との接触が途絶えるが、翌3月4日未明に再び発見。前日同様に接敵し、明け方に北緯05度29分 東経108度46分 / 北緯5.483度 東経108.767度 / 5.483; 108.767の地点で艦尾発射管から魚雷を3本発射。魚雷は特設運送船(給油)大峯山丸(三井船舶、10,536トン)に2本から3本命中し、大峯山丸はわずかに船首を海面上に突き出した状態で沈没した。攻撃後は哨戒の傍らで南沙諸島の偵察も行う。3月20日には北緯07度35分 東経110度56分 / 北緯7.583度 東経110.933度 / 7.583; 110.933の地点で日本潜水艦を発見するが、攻撃の機会がなかった。3月28日夜、ブルーフィッシュは北緯06度34分 東経118度33分 / 北緯6.567度 東経118.550度 / 6.567; 118.550の地点で「沖島型敷設艦」を発見し、北緯05度58分 東経119度15分 / 北緯5.967度 東経119.250度 / 5.967; 119.250の地点に至った所で、艦首発射管から魚雷を4本と、最後に艦尾発射管に残った魚雷を1本発射したが、目標が針路を変えたため命中しなかった。4月12日、ブルーフィッシュは58日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 5月7日、ブルーフィッシュは5回目の哨戒でセレベス海方面に向かった。途中、当時インド洋方面にいた空母サラトガ (USS Saratoga, CV-3) とイギリス空母イラストリアス (HMS Illustrious, R87) の搭載機が5月17日にスラバヤを空襲する(トランサム作戦)ので、空襲を援護する任務を命じられた。援護任務が終了すると通常の哨戒任務に戻った。5月25日ごろからは、タウィタウィの日本艦隊の動静を監視。5月26日には3隻の戦艦、4隻の重巡洋艦、3隻の軽巡洋艦その他の艦艇を認めた。5月30日、ブルーフィッシュはカブリラ (USS Cabrilla, SS-288) とともにタウィタウィ沖で、渾作戦のために出撃した戦艦扶桑、重巡洋艦妙高、羽黒以下の第一次渾部隊を発見した。ブルーフィッシュは部隊の3海里以内までに接近することができず、部隊が視界外に去ってから日本艦隊出撃の報を司令部に打電した。6月1日、定例の湾内の偵察を終えたブルーフィッシュは、高速で接近する「照月型駆逐艦」を探知し、艦尾発射管を目標に差し向ける。しかし、続いて別の巡洋艦あるいは駆逐艦が現れ、彼我の目標および暗礁との距離を探っているうちに攻撃の機会を逸した。タウィタウィの監視を終えた後の6月12日未明、ブルーフィッシュは南緯00度05分 東経118度45分 / 南緯0.083度 東経118.750度 / -0.083; 118.750の地点で「占守型海防艦」を発見し、魚雷を6本発射するが外れ、逆に爆雷攻撃を受ける羽目となった。6月15日未明にも大型輸送船に対して魚雷を5本発射するが、命中しなかった。6月16日朝、ブルーフィッシュは北緯02度28分 東経118度09分 / 北緯2.467度 東経118.150度 / 2.467; 118.150の地点で3隻の輸送船を発見し、二番手の中型輸送船に対して魚雷を3本発射する。魚雷は輸送船南進丸(帝国船舶、1,422トン)に1本命中してこれを撃沈。6月20日夕刻、ブルーフィッシュは南緯04度06分 東経117度26分 / 南緯4.100度 東経117.433度 / -4.100; 117.433の地点で「大型輸送船」と「千鳥型水雷艇」を発見し、まず魚雷を2本発射するが命中しなかった。続いて魚雷を3本発射したもののこれも外れ、日付が6月21日になってから南緯04度04分 東経116度45分 / 南緯4.067度 東経116.750度 / -4.067; 116.750の地点で行われた三度目の攻撃では魚雷を4本発射し、うち2本が輸送船河南丸(日本海汽船、3,312トン)に命中して撃沈した。6月28日、ブルーフィッシュは53日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 7月22日、ブルーフィッシュは6回目の哨戒で南シナ海、ルソン島西岸方面に向かった。ダーウィンに寄港の後、哨区に進出。8月15日、ブルーフィッシュはラッシャーから、8月12日にパファー (USS Puffer, SS-268) の攻撃で損傷した艦船を捜索するよう指示を受け、ミンドロ島沿岸部に向かう。8月17日朝に3隻の艦艇に囲まれた特設運送船(給油)神鳳丸(飯野海運、5,135トン)を発見し、夕方まで静観した後に再接近して魚雷を1本発射。魚雷は神鳳丸に命中し、神鳳丸は北緯13度31分 東経120度23分 / 北緯13.517度 東経120.383度 / 13.517; 120.383の地点で沈没した。8月19日未明、ブルーフィッシュはレーダーで目標を探知。この目標は伊万里湾からマニラに向かっていたヒ71船団で、すでに8月18日22時20分ごろに、ラッシャーが船団最後尾の空母大鷹を撃沈し、次いで23時12分に、特徴的な煙突を持ち、かつて交換船としても活躍した帝亜丸(帝国船舶、元フランス船アラミス/日本郵船委託、17,537トン)に魚雷を2本命中させて撃沈。船団は混乱し悪天候の中を右往左往するようになり、各船は陸岸に近接して避退していった。ブルーフィッシュは混乱続くヒ71船団に14ノットの速力で接近し、北緯17度34分 東経119度24分 / 北緯17.567度 東経119.400度 / 17.567; 119.400のビガン西岸沖105キロの地点に達した3時20分に、「図南丸級タンカー」と二番目のタンカーに対して魚雷を4本発射し、2本から3本が命中した事を確認する。1時間半後に二度目の攻撃で「二番目のタンカー」魚雷を3本発射し、2つの爆発を確認。三度目の攻撃はその1時間後に行われ、同じく二番目のタンカーに対して魚雷を2本発射して2本とも命中させる。霧が出て爆発がとどろく中、明け方には北緯17度35分05秒 東経119度38分05秒 / 北緯17.58472度 東経119.63472度 / 17.58472; 119.63472の地点で行き足を止めた「図南丸級タンカー」に対して魚雷を3本発射し、全て命中させて目標を沈めた。この「図南丸級タンカー」は特務艦速吸であり、ブルーフィッシュは沈み行く速吸の写真を潜望鏡越しに撮影したが、これが現在までのところ、速吸唯一の写真となっている。攻撃後も8月31日までビガン近海とルソン海峡で哨戒を続け、その後はミッドウェー島に針路を向けた。9月14日、ブルーフィッシュは54日間の行動を終えて真珠湾に帰投。サンフランシスコに回航され、ベスレヘム・スチールでオーバーホールに入った。オーバーホール成って戦列に復帰したブルーフィッシュは、真珠湾を経由して1945年2月9日にグアムアプラ港に到着した。
※この「第4、第5、第6の哨戒 1944年2月 - 9月」の解説は、「ブルーフィッシュ (潜水艦)」の解説の一部です。
「第4、第5、第6の哨戒 1944年2月 - 9月」を含む「ブルーフィッシュ (潜水艦)」の記事については、「ブルーフィッシュ (潜水艦)」の概要を参照ください。
第4、第5、第6の哨戒 1944年2月 - 9月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/24 20:45 UTC 版)
「ガンネル (潜水艦)」の記事における「第4、第5、第6の哨戒 1944年2月 - 9月」の解説
2月5日、ガンネルは4回目の哨戒で南シナ海、スールー海およびセレベス海に向かった。3月18日、ガンネルは北緯01度52分 東経120度39分 / 北緯1.867度 東経120.650度 / 1.867; 120.650のタウィタウィ近海で、パラオからバリクパパンに向かう空母千代田と護衛の電および響を発見したものの、9,000ヤードより距離を縮めることができず、16発の爆雷で追い払われた。千代田はバリクパパンで燃料補給ののち、東進してパラオに向かったが、その千代田を北緯01度28分 東経119度46分 / 北緯1.467度 東経119.767度 / 1.467; 119.767の地点で3月22日に再び発見するも、11,000ヤード離れて15ノットで航行されては手の尽くしようもなかった。結局、この哨戒では攻撃の機会は一度もなく、戦果は挙げられなかった。3月30日にダーウィンに寄港。4月6日、ガンネルは60日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 5月3日、ガンネルは5回目の哨戒で南シナ海に向かった。途中、当時この方面にいた空母サラトガ (USS Saratoga, CV-3) とイギリス空母イラストリアス (HMS Illustrious, R87) の搭載機が、5月17日にスラバヤを空襲する予定だったので(トランサム作戦)、その支援としてガンネルを含む8隻の潜水艦に救助任務を与えた。ガンネルは南緯06度05分 東経105度48分 / 南緯6.083度 東経105.800度 / -6.083; 105.800のスンダ海峡沖で待機し、この任務に従事した。空襲作戦が終わり、ガンネルは哨戒海域に向かった。6月8日、ガンネルは北緯11度59分 東経112度29分 / 北緯11.983度 東経112.483度 / 11.983; 112.483の地点でレーダーにより複数の目標を探知し、詳しく観測すると小型空母と3隻の輸送船を発見する。ガンネルは浮上して追跡を開始するが、見張りの士官が「24マイル以内に航空機あり」と報告したため、これを避けなければならなかった。再び追跡しようとした時には姿はすでになく、マケイン艦長の三度目の空母との接触も、相手に振り切られた形で終わった。この哨戒でも攻撃の機会は一度もなく戦果は挙がらなかった。7月4日、ガンネルは63日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がガイ・E・オニール・ジュニア少佐(アナポリス1937年組)に代わった。 7月29日、ガンネルは6回目の哨戒でレイトン(USS Raton, SS-270)、ギターロ (USS Guitarro, SS-363) とウルフパックを構成しルソン島近海に向かった。8月18日、ガンネルは北緯13度10分 東経121度49分 / 北緯13.167度 東経121.817度 / 13.167; 121.817の地点で6隻の海上トラックの船団を発見して、そのうちの1隻を破壊する。2日後の8月20日未明には、北緯13度32分 東経121度26分 / 北緯13.533度 東経121.433度 / 13.533; 121.433のベルデ島水路東南口で5隻の輸送船団を発見し、2隻の輸送船に対して魚雷を3本ずつ発射。全速力で転舵ののち、三番目の目標に対してさらに魚雷を3本発射。しかし、いずれの魚雷も命中した様子はなかった。8月22日午後にも北緯12度54分 東経122度51分 / 北緯12.900度 東経122.850度 / 12.900; 122.850の地点で2隻の輸送船を発見し、魚雷を6本発射したが命中しなかった。9月22日、ガンネルは54日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
※この「第4、第5、第6の哨戒 1944年2月 - 9月」の解説は、「ガンネル (潜水艦)」の解説の一部です。
「第4、第5、第6の哨戒 1944年2月 - 9月」を含む「ガンネル (潜水艦)」の記事については、「ガンネル (潜水艦)」の概要を参照ください。
- 第4、第5、第6の哨戒 1944年2月 - 9月のページへのリンク