第4、第5の哨戒 1944年12月 - 1945年5月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/28 22:25 UTC 版)
「ギターロ (ガトー級潜水艦)」の記事における「第4、第5の哨戒 1944年12月 - 1945年5月」の解説
12月11日、ギターロは4回目の哨戒で南シナ海に向かった。ロンボク海峡を12月17日に通過したあと哨戒海域に到着した。12月28日に北緯11度50分 東経109度30分 / 北緯11.833度 東経109.500度 / 11.833; 109.500の地点で「戦艦」1隻、「重巡洋艦」1隻を含む艦隊を遠方に発見するが、修理のため1945年1月17日に一旦ミオス・ウンディ島に戻る。修理後、1月30日にミオス・ウンディ島を出撃して哨戒を再開。2月17日、ギターロは北緯15度12分 東経108度54分 / 北緯15.200度 東経108.900度 / 15.200; 108.900のバタンガン岬沖で輸送船団を発見して日付が2月18日に変わった直後に魚雷を3本発射し、命中音も聴取して大型輸送船1隻の撃沈を報じた。3月15日、ギターロは83日間の哨戒を終えてフリーマントルに帰投した。 4月9日、ギターロは5回目の哨戒で南シナ海に向かった。4月15日、ギターロはロンボク海峡を通過中に監視艇と航空機の攻撃を受けたが切り抜けた。4月20日、日本海軍の根拠地であるリンガ泊地の南の入口に当たるベルハラ島近海に到達したギターロは、南緯01度00分 東経104度30分 / 南緯1.000度 東経104.500度 / -1.000; 104.500の地点を中心に23個の機雷を敷設した。その後はボルネオ島とシンガポール間で哨戒を行ったが、この時期、この周辺には目ぼしい艦船はほとんど残っておらず、これといった出来事もなく攻撃機会もなかった。ギターロは本国への帰還命令を受け、その途中の5月27日にサイパン島に寄港した。6月8日、ギターロは61日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。その後サンフランシスコに回航され6月18日に到着し、同地で終戦を迎えた。
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