第4、第5の哨戒 1944年8月 - 12月
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「バットフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第4、第5の哨戒 1944年8月 - 12月」の解説
8月1日、バットフィッシュは4回目の哨戒でパラオ方面に向かった。8月23日、バットフィッシュは北緯08度09分 東経134度38分 / 北緯8.150度 東経134.633度 / 8.150; 134.633で第22号掃海艇と思われる艦艇に対して雷撃を行い、撃沈を報告した。3日後の8月26日、バットフィッシュは北緯08度30分 東経134度37分 / 北緯8.500度 東経134.617度 / 8.500; 134.617のガルアルグル島南西端のベラスコ礁に座礁している駆逐艦五月雨を発見した。五月雨は、軽巡洋艦鬼怒、駆逐艦浦波とともにパラオに対する輸送作戦に従事中の8月17日に座礁したものであり、この時までに幾度か引き降ろしを試みて失敗していた。また、B-24も何度か来襲して五月雨を爆撃していた。夕方18時40分、バットフィッシュは五月雨に向けて魚雷を発射。1本が五月雨の右舷側中部に命中して五月雨の艦体を切断した。この後、バットフィッシュはフリーマントルに向かった。9月12日、バットフィッシュは41日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 10月8日、バットフィッシュは5回目の哨戒で南シナ海に向かった。エクスマス湾を経てダーウィンに入港し潜望鏡を修理した後、10月17日に出港した。この哨戒でバットフィッシュは10月20日と11月12日の攻撃で2隻5,000トンの戦果を挙げたと報告したが、実際の戦果はゼロだった。また、11月6日から7日にかけては、重巡洋艦熊野、青葉が加入したマタ31船団に接触した。12月1日、バットフィッシュは53日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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