第4、第5の哨戒 1944年8月 - 12月とは? わかりやすく解説

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第4、第5の哨戒 1944年8月 - 12月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 16:48 UTC 版)

バットフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第4、第5の哨戒 1944年8月 - 12月」の解説

8月1日バットフィッシュ4回目の哨戒パラオ方面向かった8月23日バットフィッシュ北緯0809東経13438分 / 北緯8.150度 東経134.633度 / 8.150; 134.633で第22号掃海艇思われる艦艇に対して雷撃行い撃沈報告した3日後の8月26日バットフィッシュ北緯0830東経13437分 / 北緯8.500度 東経134.617度 / 8.500; 134.617のガルアルグル島南西端のベラスコ礁に座礁している駆逐艦五月雨発見した五月雨は、軽巡洋艦鬼怒駆逐艦浦波とともにパラオ対す輸送作戦従事中の8月17日座礁したものであり、この時までに幾度か引き降ろし試みて失敗していた。また、B-24も何度来襲して五月雨爆撃していた。夕方1840分、バットフィッシュ五月雨向けて魚雷発射。1本が五月雨右舷中部命中して五月雨の艦体を切断したこの後バットフィッシュフリーマントル向かった9月12日バットフィッシュ41日間行動終えてフリーマントル帰投した。 10月8日バットフィッシュ5回目哨戒南シナ海向かったエクスマス湾を経てダーウィン入港し潜望鏡修理した後、10月17日出港した。この哨戒バットフィッシュ10月20日11月12日攻撃で2隻5,000トン戦果挙げた報告したが、実際戦果ゼロだった。また、11月6日から7日にかけては、重巡洋艦熊野青葉加入したマタ31船団接触した12月1日バットフィッシュ53日間行動終えて真珠湾帰投した。

※この「第4、第5の哨戒 1944年8月 - 12月」の解説は、「バットフィッシュ (潜水艦)」の解説の一部です。
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