第4、第5の哨戒 1945年5月 - 8月とは? わかりやすく解説

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第4、第5の哨戒 1945年5月 - 8月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/05 22:20 UTC 版)

セグンド (潜水艦)」の記事における「第4、第5の哨戒 1945年5月 - 8月」の解説

4月26日、セグンドは4回目の哨戒東シナ海向かった。この哨戒でセグンドは救助配備任務命じられその後5月16日東シナ海任務海域離脱した5月29日、7隻の2本マストを持つ100トンほどのスクーナーに対して砲撃行い、これらを撃沈したその2日後の5月31日、1,250トンの4本マストを持つ船を発見し、2本の魚雷発射撃沈判断された。6月3日には別の船を砲撃撃沈6月9日にも2隻の哨戒艇をこれも艦砲による砲撃沈めた6月11日、セグンドは北緯3711東経12323分 / 北緯37.183度 東経123.383度 / 37.183; 123.383の地点第二福井丸帝国汽船、1,591トン)を撃沈した6月21日、セグンドは54日間行動終えてミッドウェー島帰投艦長ステファン・L・ジョンソンアナポリス1939年組)に代わった。 8月10日、セグンドは5回目哨戒オホーツク海方面向かった5日後の8月15日戦争終わり、セグンドは8月24日東京湾へ向かう様命じられた。8月29日日付変わって間もなく、セグンドは三陸沖南下中にレーダー目標探知した4時過ぎには相手艦影見えるほどにまで接近探照灯による発光信号停船セヨ』を送った相手は、ウルシー環礁奇襲終戦果たせ大湊向かっていた伊401であり、終戦協定定められた黒い気球三角旗掲揚していた。セグンドは伊401まで300メートル接近し、あらぬ企てをすれば撃沈する通告した上で数度往来行った伊401拿捕受理し、セグンドと共に東京湾へ向かうことに合意した。2隻は8月31日相模湾入り、5時をもって星条旗伊401掲揚された。この時、伊401座乗していた第一潜水戦隊司令有泉龍之助大佐(兵51期)が自室自決し、セグンドに気付かれないよう水葬した。ただし有泉自決日は8月29日とする資料もある(『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』では8月29日半藤一利著『戦死遺書文春文庫1995年では8月31日)。相模湾入ってから、伊401誘導役を駆逐艦譲ったセグンドは、9月2日日本の降伏文書調印式典に他の潜水艦11と共に参列した式典翌日9月3日東京湾出港9月12日、セグンドは30日間行動終えて真珠湾帰投した。セグンドは伊401拿捕により、「捕獲」という戦果を持つ潜水艦となった

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