第4、第5の哨戒 1944年4月 - 7月
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「ジャック (潜水艦)」の記事における「第4、第5の哨戒 1944年4月 - 7月」の解説
4月6日、ジャックは4回目の哨戒で南シナ海に向かった。4月14日夜、ジャックは南緯03度26分 東経125度28分 / 南緯3.433度 東経125.467度 / -3.433; 125.467の地点で2隻の輸送船と4隻の護衛艦を発見。追跡の上、翌4月15日未明に南緯03度33分 東経124度30分 / 南緯3.550度 東経124.500度 / -3.550; 124.500の地点にいたって魚雷を4本発射したが命中しなかった。4月25日午後、ジャックは北緯18度06分 東経119度40分 / 北緯18.100度 東経119.667度 / 18.100; 119.667のルソン島沿岸で、ニューギニアに増援部隊を送る竹一船団を発見。この船団は15隻の輸送船と13隻の護衛艦で構成された大規模な船団であった。ジャックは浮上して竹一船団との接触を保ち、4月26日未明に魚雷を6本発射し、うち4本を2隻の6,000トン級輸送船に命中させて、1隻を撃沈し1隻を撃破と判定した。1時間後の2時37分に魚雷を計10本発射し、この攻撃では6本を命中させ、5,000トン級、6,000トン級および7,000トン級の各級輸送船を1隻ずつ撃沈したと判定された。二度目の攻撃から再び1時間おいた3時42分、艦尾発射管から魚雷を4本発射しようとしたが、9番発射管が故障で開かず3本発射となり、この攻撃では5,500トン級輸送船の撃破を報じる。一連の攻撃で、陸軍輸送船第一吉田丸(山下汽船、5,425トン)に2本が命中し、船体を二つ折れにして撃沈した。4月27日には、北緯19度32分 東経122度21分 / 北緯19.533度 東経122.350度 / 19.533; 122.350の地点で浮上砲戦により32トン級トロール船を撃沈。4月28日にも北緯17度34分 東経124度06分 / 北緯17.567度 東経124.100度 / 17.567; 124.100の地点で50トン級トロール船を3インチ砲と20ミリ機銃で撃ち沈めた。5月10日、ジャックは35日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がアーサー・E・クラプフ少佐(アナポリス1934年組)に代わった。 6月4日、ジャックは5回目の哨戒で南シナ海に向かった。ジャックはルソン島沿岸部に向かい、6月25日早朝、北緯16度09分 東経119度41分 / 北緯16.150度 東経119.683度 / 16.150; 119.683の地点でマニラから出てきたマタ23船団を発見した。ジャックは船団の左側から魚雷を6本発射し、タンカーさんぺどろ丸(三菱汽船、7,268トン)の左舷に魚雷が1本命中、大火災を発したさんぺどろ丸は、一晩燃えて沈没していった。6月30日未明には北緯14度30分 東経119度43分 / 北緯14.500度 東経119.717度 / 14.500; 119.717のマニラ湾西方180キロ地点で、折からの悪天候の中をサイゴンからマニラに向けて米を輸送していたサマ08船団を発見。3時12分に、ジャックはサマ08船団に対し魚雷を計10本発射。魚雷は陸軍輸送船鶴島丸(山下汽船、4,652トン)に3本が命中し撃沈。1時間後の4時22分には魚雷を4本発射し、陸軍輸送船松川丸(川崎汽船、3,832トン)に全て命中して撃沈。さらに艦尾発射管から魚雷を4本発射し、3つの爆発を確認した。7月14日、ジャックは39日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。ジャックのここまでの戦績に対して殊勲部隊章が授与された。
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