第4、第5の哨戒 1943年1月 - 6月
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「ガトー (潜水艦)」の記事における「第4、第5の哨戒 1943年1月 - 6月」の解説
1943年1月13日、ガトーは4回目の哨戒でソロモン諸島方面に向かった。1月21日、ガトーは南緯06度12分 東経155度51分 / 南緯6.200度 東経155.850度 / -6.200; 155.850のブイン近海で4隻の輸送船からなる輸送船団を発見して攻撃し、陸軍輸送船乾坤丸(乾汽船、4,575トン)を撃沈。続いて2日後の1月23日には南緯06度28分 東経156度05分 / 南緯6.467度 東経156.083度 / -6.467; 156.083の地点で日本軍潜水艦を発見して魚雷を2本発射するも、命中しなかった。1月25日にも南緯06度00分 東経156度04分 / 南緯6.000度 東経156.067度 / -6.000; 156.067の地点で重巡洋艦と駆逐艦を発見して攻撃するが、成功しなかった。1月29日には南緯06度21分 東経156度04分 / 南緯6.350度 東経156.067度 / -6.350; 156.067のブーゲンビル島南東海面で陸軍輸送船日運丸(日産汽船、2,723トン)を撃沈。2月15日には南緯06度27分 東経156度02分 / 南緯6.450度 東経156.033度 / -6.450; 156.033の地点で特設給糧船駿河丸(日本水産、991トン)を撃沈した。2月19日夜にも4日前とほぼ同じ南緯06度27分 東経156度01分 / 南緯6.450度 東経156.017度 / -6.450; 156.017の地点で、千鳥型水雷艇と思われる艦艇に護衛された海軍徴傭船日張(ひばり)丸(日産汽船、6,550トン)に魚雷を命中させた。被雷した日張丸はショートランドに曳航されたが、4月17日にショートランドで基地航空隊の爆撃により沈没した。2月26日、ガトーは44日間の行動を終えてブリスベンに帰投した。 3月19日、ガトーは5回目の哨戒でソロモン諸島方面に向かった。3月29日、ガトーはブーゲンビル島に接近し、オーストラリア人のエージェントを上陸させた代わりに、子供27名、その母親と見られる女性9名および修道女3名を収容した。ガトーはフロリダ諸島のラモス島(英語版)に向かい、3月31日に同地で駆潜艇SC-531 に避難民を移動させた後、哨戒を再開。4月4日未明、ガトーはタンガ諸島とリヒア諸島(英語版)間の海域で大型船を発見して接近するも敵の爆雷攻撃を受け、そのうちの3発の爆雷が有効打となって損傷し、一時ブリスベンに引き返して4月11日から20日にかけて修理を実施した。修理成って再出撃したのち、4月29日にブーゲンビル島トエプ港近辺に16人のオーストラリア陸軍沿岸監視隊を上陸させた。5月25日にはチョイセル島の湾を偵察した後、ギルバート諸島方面を通過して真珠湾に向かった。6月6日、ガトーは72日間の行動を終えて真珠湾に帰投。メア・アイランド海軍造船所に回航されオーバーホールに入った。オーバーホールが終わったガトーは、8月22日に真珠湾に帰還した。
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